聖さんで開運を祈ろう!
聖神社の特徴
因幡伯耆國開運神社巡りの重要なスポット、落ち着いた神聖な場所です。
大きな御神木が並び、空気感が素敵な神社で訪れるたびに癒やされます。
入母屋造りや十二支の彫り物が美しい、歴史ある神社の魅力を堪能できます。
祀られている神の名が長いので、神社をお参りするときは “ににぎのみこと” と “ほおりのみこと” と短く覚えておくとよいのかも。❶【参考 岩美郡史 明治35年】聖神社 (明治35年の神社の紹介文となる)寛永7年(1630年)8月 本社を造立する安永5年(1776年)8月 官社に列する。[鎮座地] 富桑村大字行徳[社格] 郷社[祭神] 天津日高日子番能通々芸命(あまつひこひこほのににぎのみこと・ににぎのみこと)日子穂々手見命(あまつひこひこほほでみのみこと・火遠理命(ほおりのみこと)
由緒書き有りません。駐車場の案内も含めWebのご参照を・・・周辺住宅地の入り組んだ道路です、苦手な方は駅から歩けない距離ではないのでそれも有りかと・・・
ナビで行くと駐車場わかりにくいです。鳥居をくぐったところが、駐車場です。社殿は、立派です。書き置きの御朱印あります。
11月中旬に訪れました。七五三詣での家族連れで賑わう中、お参り。境内のイチョウの木々は頭の方だけ黄色く色付いていて、今年の異常気象のせいか、まだまだ先のよう。社務所前のモミジも青々としていて、書置きの御朱印を拝受し、感謝申し上げるのでありました~
新たに始まった、因幡伯耆國 開運神社巡りで、八社及び二十社巡りの一つ。
毎年、お参りするけど、やはり落ち着く良いところです。
陽射しの十分な昼下り、近くの介護施設から♿のご婦人と介護者の方が参詣です。少し前には散歩中の方が北門から南門へ通り過ぎです。(聖神社)は鳥取藩主池田家治世の城下の頃から人々の崇敬を集めています。現在の社殿の再建は宝永7年(1710年)、聖神社は時代が遡ること初代藩主が鳥取東照宮に奉納した獅子舞を引き継ぎ、城下や周辺地域へ麒麟獅子舞を広めて今日の登録文化財・日本遺産への礎を築きました。(聖神社)は古来より大祭礼として壮麗な神幸神事を執行、春の例祭として隔年5月の第三週 土曜日(宵宮)と翌日日曜日の2日間に亘り神幸祭を行います。(今年5/15、5/16日)日曜日(本祭)は各町内ご自慢の山車(だし)が聖神社から引かれて出発、囃しと威勢の良い掛け声とが町内を練り歩き、最終的に聖神社へ戻り、各町内へ帰ります。この日市内は山車の通過する駅前、吉岡、鹿野、智頭、若桜、末広の各街道周辺は一日中、祭一色で多くの見物人が沿道から拍手や声援を送ります。花代(なはだい)やご祝儀も飛び交い祭気分が一層盛り上ります。(聖神社社叢)は昭和53年11月指定の鳥取市保存樹林の大イチョウと大ケヤキが社殿を覆うようにしっかりと境内に根を張り生育しています。境内は一層霊験新たな神聖そのものです。樹齢は指定年の時が290年以上とありますからそれから今年令和3年までの43年を加えると樹齢は333年以上です。(聖神社)はこれからも市民の心の拠り所として寄り添います。
子供の頃よく遊びに行ってました最近は初詣くらいしか行きません。
大きな木がたくさん。大銀杏が綺麗でした。
名前 |
聖神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0857-22-6398 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

旧郷社。春祭は隔年で神幸行列があり、各町内から20台前後の屋台が加わり氏子中を巡幸する。1790年に建築された社殿は、因幡地方における近世神社建築の典型。神饌幣帛料供進神社氏子戸数 二千三百戸(鳥取県神社誌)