源頼朝ゆかりの小萩観音。
清水寺観音堂の特徴
美しい自然に囲まれた静かな環境が魅力的です。
源頼朝に縁のある場所として歴史ファンに人気です。
加美観音霊場の15番札所で、歴史的な重要性があります。
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加美観音霊場15番札所Pあります16番札所、慈恩寺宮城県加美郡加美町月崎宿20
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| 名前 |
清水寺観音堂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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「小萩観音」源頼朝が鎌倉幕府を開く直前の文治5年(1189年)のことです。源頼朝は、源義経をかくまったという理由で、平泉を拠点としていた奥州藤原氏を攻め滅ぼしました。この時、藤原秀衡の三男、藤原忠衡の娘を鎌倉軍から守ったのが、家来である石塚民部守時の妻、小萩だと言われています。小萩は、弟の観門が色麻の清水寺にいたため、娘とともに清水寺に身を寄せることになりました。小萩はここで出家し、行基菩薩という僧侶が造った十一面観音像を厚く信仰しました。15年後の元久2年(1205年)、小萩は色麻を去り、仙台市の福沢、今の仙台東照宮のあたりに移り、近くにお堂を建てて、この十一面観音像を安置しました。江戸時代になると、その場所に東照宮が建てられることになり、そこにあった天神社とともに榴ヶ岡に移され、萩徳山仏生寺と称しました。明治維新後は、廃寺となり、観音像は商家の所有となりましたが、仙台市の仙岳院の住職が不憫に思って買収し、お堂を建てて「小萩観音」として祀りました。清水地区の清水寺で多くの人々の信仰を集めている「小萩観音(または子安観音)」も、古くはこの鎌倉時代の小萩と関連が考えられ、今後の研究が待たれるところです。