最上三十三観音の涼風、心温まるひととき。
丹生村観音の特徴
高台からの眺めが素晴らしく、絶景を楽しめます。
修験の息吹きを感じる独特なお堂が魅力的です。
観音堂内は涼しい風が吹き心地よいです。
10/2(日)尾花沢の最後6箇所目は!宮沢にある丹生村です。こんもりした小山の上に本堂があります。駐車場が分からなくて、車でうろうろしました。結構、急な階段上り下りにも段々と慣れて来たように思います。山形市の長谷堂が一番きつかったかな。やはり簡単に題目と御詠歌を唱えました。階段下に御朱印所がありますが、大勢の方がいらっしゃるので、準備した御朱印が全部なくなってしまい、手書きしますからと御住職が恐縮してました。参拝者の方々は結構時間がかかり並んでましたが、待っている間に後ろの方と話し友達になり、巡礼の笑い話が出来て逆に良かったです。ちょっと暑かったです。
集落内でちょっと分かり難くかったです。優しそうな住職さん?かな…対応が素晴らしかったです。2022.7.28
最上三十三観音の参拝でお伺いしました。コロナウィルス感染症の影響で二年間延期されていた霊場御本尊の御開帳(観音堂の観音様)です。鷹尾山般若院といい天台宗のお寺で観音霊場第三十番札所になります、観音堂の中でお勤めをしました別称で丹生村観音と呼ばれています。御本尊は聖観世音菩薩で弘法大師の御作と伝わります。この観音像の由来には言い伝えが残っています、昔一人の老僧が旅の途中にこの地まで来て病気で亡くなった。老僧が息を引き取る直前「私は江戸浅草観音堂から観世音の木像をいただいて諸国を遍歴してきた、ここで命尽きて永眠するのも何かの因縁でしょう思うに観世音がこの地に留まりたいとの御心からと思うから、どうかこの尊像を祀ってください」と言い残し亡くなった。村の人々は老僧の亡くなった場所に御堂を建てて尊像を安置した、これが丹生村観音の始まりとされている。享保十八年(1733年)、宥順権大僧都のとき火災に遭い御堂は焼失してしまったが、尊像は宥順師が取り出して難を逃れている。天明二年には当時別当であった光善法印が夢でお告げを授かり、これを現在地である丹生山の中腹に移した、元々御堂のあった場所は観音屋敷と呼ばれ、いまなおその地名が残されている。さらに天保二年(1831年)の三月、関山法印のとき再び火災に見舞われたがこの時も御本尊だけは助かっている。それから十数年の間、仮の御堂に安置されていたが天保十四年(1843年)宥盛法印のときに信仰深い人々の願いもあって御堂が再建され現在まで守り継がれている。明治維新の神仏分離令によって、いっとき神様と仏様を一緒に祀ることが禁じられたために観音堂は月山神社の拝殿として使用されていたが、その後暫くして本来の観音堂として復活した。
素晴らしい🌻修験の息吹きを感じるお堂でした💖
気温30℃ありましたが観音堂の中は涼しい風が吹いて気持ち良かったです🙏
良かった👌 階段も 高く 長くなくて😃
名前 |
丹生村観音 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0237-22-2175 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.2 |
周辺のオススメ

高台からの眺めが大好きです。田んぼが、青々していて、風が心地よいです。石段が、斜めになってしまっている所があるので、ちょっとご注意ください。