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名前 |
向良神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.5 |
この向良神社は江戸時代後期に讃岐三白の一つの白砂糖の製造に成功した東かがわ市湊の当神社の地で生誕した向山周慶と鹿児島県奄美大島出身の関良介をお祀りした神社です。白砂糖の製造について書きます。向山周慶の師、高松藩医池田玄丈は藩からの命で製糖の研究を始めます。高松市花園町でサトウキビを育てていたが志半ばで亡くなります。師から私的に引き継いだのが弟子で齢16歳の向山周慶です。砂糖造り自体が上手く進まない状態でした。そんな中、京都への遊学中に知り合った薩摩藩士の○氏に砂糖の作り方を聞くが国禁を犯す事に成ると全く教えてくれない。周慶は帰郷します。すると薩摩藩士○氏が火事にあい困窮していると聞き援助をしました。○氏は感動し国禁を破り砂糖作りの技術を教えます。しかし行って見ると上手く行かない。そんな折に、ある日関良介と云う男が四国八十八ヶ所巡礼の途中、白鳥町湊の向山周慶の家の前で病気に成り倒れます。それを周慶のあにが助け自宅にて介抱します。この関良介と云う男は薩摩藩奄美大島の出身者だったのです。良介は身体を回復させ一度は奄美大島に帰るのですが、周慶家族に受けた恩に報いる為、国禁を破り弁当箱の下にサトウキビの種茎を隠し持ち、命を捨てる覚悟で最果ての地讃岐白鳥町湊の周慶を訪ねて来ました。それから30年近くに渡り二人の苦労の末、1790年についに白砂糖の製造に成功しました。これを聞いた藩主松平公は大変喜び高松城内に社を建て向山周慶の向と関良介の良を取り向良神社とし二人を御祭神としました。その後、生誕の地にも同様の向良神社の社を祀りました。小さな社ですが香川県の旧高松藩の領地の人々は大変な恩恵を受けています。