久米田貝吹山古墳を探訪!
久米田貝吹山古墳の特徴
久米田貝吹山古墳は全長130mの前方後円墳です。
古墳時代前期に築造された歴史的な遺構です。
久米田寺の裏手にありアクセスも便利です。
古墳であり、貝吹山城跡です。ここから久米田の戦いに思いを馳せることができると思います。周りにも複数古墳があるので、もしかしたら三好方の陣は他の古墳も利用したかも?色々考えれて楽しいです。近くに三好実休戦没碑もあります。久米田の戦いは、永禄5年(1562年)3月5日、久米田寺周辺(現大阪府岸和田市)に布陣する三好実休に対し、畠山高政が攻め入った合戦。両軍併せて17,000から50,000の兵力が激突し、三好実休はこの合戦にて戦死を遂げ、三好氏没落の原因の一つとなった合戦とされる。畠山高政と六角義賢が同時挙兵し、取り囲まれた岸和田城の救援に三好実休・三好長逸・三好康長・三好 宗渭が向かった。岸和田城には入れず、実休らはそこから離れた貝吹山古墳に布陣。↓三好軍の篠原長房隊が、畠山軍の魚鱗の陣の第一陣、安見宗房隊を押し込んでいき その勢いで、第二陣の遊佐信教隊に前進していき、篠原隊だけが突出。↓その隙をみて、畠山軍の第三陣にいた湯川直光隊が篠原隊の背後に回り込む動きを見せる。↓これに対し、篠原隊を守るため馬廻り衆100騎兵を本陣に残し、三好盛政隊・三好康長隊・三好 宗渭隊、その他の兵を一斉に前進させる。↓三好実休の作戦が裏目にでる。手薄になった実休本陣に根来衆の奇襲を受ける。本陣に残っていた実休と馬廻り100騎兵が全滅。実休は鉄砲によって討ち取られたと考えられるが、流矢や自害説もあり。(日本で初めて鉄砲で討死した人と言われている)
久米田貝吹山(くめだかいぶきやま)古墳全長約130mの前方後円墳、築造時期は古墳時代前期と推定。久米田古墳群を構成する古墳の1つ。久米田公園内にある。被葬者は、古墳時代前期に和泉地域で勢力を拡大させた有力首長と考えられている。地元では「橘諸兄塚」とも呼ばれている。中世には貝吹山城が築かれ、そのため墳丘は激しく改変されている。
久米田寺の裏手に貝吹山古墳がある。久米田池や久米田寺創建は行基と伝わるが、その創建に関わった橘諸兄のお墓との伝承がある。大きな古代の池のすぐ近くには大きな寺がたいていあるが池を管理するための施設の役割もあるのだろう。
2018年8月12日に訪れました。岸和田市指定史跡です。全長約130mの前方後円墳で4世紀中頃の築造と考えられます。戦国時代には三好実休により砦が築かれ、わずかにその痕跡が残っています。久米田合戦所縁の古墳だそうです。
| 名前 |
久米田貝吹山古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.kishiwada.lg.jp/site/kishiwada-side/kumeda-kofungun.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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前兆30メートルの前方後円墳で、久米田古墳群の中で最古かつ最大の首長墓と考えられている。埴輪の編年と照合すると四世紀半ばごろに比定できる。