12年に一度の大祭、千手観世音菩薩開扉!
十七夜観音堂(月光山神護寺)の特徴
十七夜観音堂では、千手観世音菩薩の例大祭が行われています。
12年に一度の御開帳大祭は特別な体験ができます。
磐田市西貝塚に位置する月光山神護寺の風情ある景観が魅力です。
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名前 |
十七夜観音堂(月光山神護寺) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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十七夜観音堂所在地 磐田市西貝塚山 号 月光山寺 号 神護寺御本尊 千手観世音菩薩例大祭 門扉大祭(子の年毎•13年目毎)三日間大法要を行う訪問日 2023/11/14「十七夜観音堂•千手観世音菩薩」は、12年に一度の大祭、御開帳大祭(開扉大祭)の時だけ拝観する事が出来る様です。最近の御開帳は、令和2年4月4~6日の三日間行われたそうです。「開創と沿革」慶長14~15年(1609~1610年)の昔(今から400年余り前)、出羽の国(山形県)月山の山伏で「月清法印」という人が、諸国修行の為、千手観音を守りながら出羽の国を出発し、見付の宿はずれ、境町の只来坂(現在の中部ガス脇の道)を隔てた西側に至り、此処に留まり、領主、須波御子神社の神宮西尾内記に願い出て御堂を建立、月光山神護寺と称し、右の観世音菩薩を御本尊として安置しました。伝えられるところでは、この地にお祀りしたこの千手観音は、厚く信仰され参拝者は絶えることが無かった。殊に御開扉の際は、大変に混雑したので諸大名の通行に支障をきたしたこともあって、一時、上大原村(現在の磐田市上大原)の久太夫殿のお宅に預けられた。此処は、「月清法印」が修行の砌り、この家に落ち着いたという因縁によるとのこと。その後、法印は2~3年間、行脚して西貝塚に戻り、当時の名主•大杉六郎衛門、大杉八郎左衛門に堂宇建立について御願いし、両人の見立てによって現在の場所に観音堂を建立したのであります。