国見山で堀切とタイムスリップ。
津田城跡の特徴
様々な遺構を楽しめるので、大満足の史跡体験ができます。
津田駅からのアクセスが良好で、20分で登山口に到着します。
手頃なハイキングコースで、タイムスリップ感を感じられます。
国見山登山口に車3~4台を停められる場所があり(第2京阪の側)そこに停めて山を登って行きました。ハイキングコースなので急坂も無く気持ち良く歩けます。「土塁」の立札が道の右側に。進んで頂上手前に「津田城跡」の立札。土橋らしきものも。遺構なのか?と不明瞭ながら本廓らしきあたりもあり。山頂から滋賀方面を見やり「織田が攻めて来るとしたらあの方向から」など思い巡らすのも楽しい。もう少し、説明図などあれば尚良し。
土塁など、様々な遺構が残っていてとても楽しめます。また、山頂からの眺めも最高です。
土塁や堀切などが残っています。ただ、城とはいっても砦ですのでそっち方面が好きな人以外は物足りないかも。ハイキングコースとしては最高です。
手頃なハイキングコースとして楽しめると同時にそこここに曲輪や堀切らしい雰囲気がありタイムスリップ感も味わえます。
削平地、土塁有り。
津田駅からのルート検索で歩いて20分くらいで登山口に着きました。綺麗に整備された道なので歩きやすいです。頂上には簡単に着きました、いい天気でしたけど風が冷たかったです。帰りは頂上の先に下りる道があったのでそこから帰りました。この道は鉄塔の下をくぐったり、展望デッキがあったりしましたが、道は細くて滑りやすいし、斜面が急なところがあったりするので気をつけて行ってください。下りていくと清水園という建物の横に出て、住宅地を通って帰りました。約2時間くらいでいけました。
展望デッキへの行き方がちょっとわかりづらい。道に迷い、ハイキングコースではなく作業歩道に迷い込んでしまった(苦笑)林業等の作業員ではないのに。
【織田信長 明智光秀 松永久秀 津田正信】戦国時代、織田信長は武将との戦いに明け暮れる一方で、宗教的に力を持っていた寺院との抗争も激しさを増します。特に蓮如(枚方の民話・第9話参照)が開祖した石山本願寺(のちに大阪城が築城される)とは、1570年から11年間の苦戦の末、地理的にどうしても欲しかった、この土地を手に入れました。 この頃、枚方地区には枚方、出口、招堤と3か所に寺内町が出来上がっていました。 一方津田城の二代目正忠の妹(正信の娘)は、天文年間(1532年~1555年)招堤寺内町・敬応寺の蓮淳(蓮如の6男)に嫁ぎ、石山本願寺と姻戚関係にありました。従って山崎の合戦の時、津田4代目城主正時は、招堤寺内町の人々を誘い、「本能寺」で信長を討ってくれた光秀側について参戦しますが、羽柴秀吉に瞬く間に敗れ、津田城、寺内町ともに終焉を迎えたのであります。ここは1582年、本能寺の変の後、山崎の合戦で、筒井順慶が羽柴秀吉と明智光秀のどちらに加勢しようかと、この峠に陣取って形勢をうかがったという伝説にちなみ、「洞ヶ峠を決め込む」という言葉が残っています。 しかし、これは間違いで、筒井順慶は洞ヶ峠に出向かず、大和の地で中立を保ったと言われています。
有名なハイキングコースであるからして登りやすく、人も多かった。30分ほどで山頂に着く。いずれにせよ城跡としての整備はほぼなされてないので城跡としての魅力は希薄。城跡概念図などもないので縄張りや郭がよくわからない。眺望が良いので大阪、京都方面も見渡せるからそれこそが城跡である証左でござろう。土塁やら僅かながらの石垣っぽいもの、堀切っぽいものは確認できたものの遺構であるとの確証はない。ハイキング目的での訪問がよかろう。
名前 |
津田城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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JR学研都市線の津田駅から約40分の行程で標高288メートルの国見山に到ります。この山頂一帯に築かれていた山城で、土塁や堀切が山頂を下った平場に残っています。標高が低い割には急峻な山で高い防御力を伺い知ることができました。人気のある交野山に繋がるハイキングコース上にあり、山頂からは大阪や京都の街を見下ろす景勝地で枚方十景にも選ばれています。