西町の再建名寺、定福寺の魅力。
定福寺の特徴
大空襲で焼失した歴史を持つお寺です。
福山藩主・水野家、阿部家と関係があります。
蓮池橋南交差点の西側に位置しています。
此のお寺は一度、大空襲で焼失して再建した。定福寺の特色はなんと言っても福山城藩主勝成の妻と後妻の巨大五輪塔が2基が祀られている。皆さんはあまり知られてない。福山城代藩主ニ代水野勝俊の生母・於登久の墓(香源院)と勝成の御妻・於珊の墓(良樹院)、水野家ゆかりの墓がある。参勤交代制により、於登久(おとく)は江戸住いで1674(正保4)年に大阪で死去。勝俊は母の遺骨を引き取って香源院(こうげんいん)して定福寺に手厚く葬りました勝成は別に於珊(おさん)を妻に迎えます。備中成羽城主三村家親(いえちか)の娘であり於珊は於登久より13年も早い1634(寛永11)年に死没し、良樹院(りょうじゅういん)として祀られた。生前は歯痛病に悩まされて晩年【後世歯を病むものであれば我墓に祈るべし】と言い残し、歯痛の神と崇められた。福山西國第三十三カ所第27番も兼ねている。御本尊【阿弥陀如来】御詠歌【親も子も 漏らさず救う 定福寺 子安観音 しるしいやちこ】標石表側 福山西國第27番定福寺裏側 大正15年10月 施主小川助治と刻まれいる。追記 令和3年10月19日福山城藩主初代水野勝成の長男で慶長3年(1598年)8月26日生まれで、承応4年(1655年)3月28日、58歳で死去墓所広島県福山市北吉津町の日蓮宗妙政寺。
福山市西町3丁目”蓮池橋南”交差点の西側に有ります。
| 名前 |
定福寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
084-925-1180 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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定福寺は、福山藩主であった水野家、阿部家両家にゆかりのある浄土宗のお寺です。定福寺は、慶長年間(1596~1615年)、水野勝成が娘の追善供養のために現在の愛知県刈谷市に創建し、水野家の移封に伴い大和郡山を経て、1621(元和7)年に福山の当地に建立されました。敷地内には、勝成の夫人の墓である大きな五輪塔が2基並んで立っています。2代勝俊の母である香源院於登久(こうげんいんおとく)と、福山城入城後に迎えた勝成の室、良樹院於珊(りょうじゅいんおさん)の五輪塔です。その後、福山に入封した阿部正邦も、阿部家歴代の祖先の御影堂(みえいどう)を造り、菩提寺としました。1716(享保元)年には2代正福により本堂や書院が再建されて寺観が整い、1860(安政7)年にも7代正弘によって本堂が再建されています。1868(慶応4)年夏、定福寺で9代阿部正方の葬儀が行われました。正方は幕末の動乱の中、前年に福山城内で亡くなりましたが、跡継ぎがいないためその死は隠され、城内にある小丸山山麓の竹藪に仮埋葬されていました。定福寺から北西へ1kmほどの場所にある現在の小坂山に本葬されたのは、広島藩から養子に迎えた10代正桓が家督を継いだ後の1870(明治3)年のことでした。1945(昭和20)年8月8日、福山空襲により市内が焦土と化しました。国宝であった福山城天守もこの時に焼け落ち、定福寺も類焼しましたが、今はどちらも建て直され、再び市民とともに歴史を紡いでいます。(広報ふくやま〜歴史散歩)