小坂山山頂で歴史を感じる。
阿部正方公墓所の特徴
小坂山の山頂に位置する神社跡の墓所です。
墓石前の鉄製扉に違い鷹の羽紋が施されています。
第10代藩主阿部正桓が寄進した石燈籠があります。
備後福山藩主第6第代阿部正寧(まさやす)の3男として生まれる。母は内山氏生誕(嘉永元年8月21日【1848年】死亡(慶応3年11月22日【1867年福山城内にて卒去)備後福山藩主第9代(文久元年【1861年14歳で福山藩主となる】幕末の動乱の中で亡くなったので少し遅れて明治3年に正式に現在地(小坂山神社)に改葬された。幕府の重役として代々江戸詰めだったので、他の藩主は全て江戸にある。浅草西福寺に葬られている。坂道を上がりきった所に常夜燈一対に大正4年12月獻納と刻まれている。そして右側に手水鉢(明治3年庚牛11月)、次に鳥居が有り、向かって右側の柱に奉獻・准士有志之者、左側の柱には明治3年庚牛11月と刻まれている。阿部正方の墓地前に左右対称に常夜燈が有り、明治3年庚牛年11月と奉獻中士と刻まれている。墓の形式が今までにない様式で円形式になっている。従来は五輪塔式が多い。阿部正方公は未婚だったので、次の藩主を拵えるのが大変だった。
◎幕府激動期に藩主を勤めた若殿様の墓。
| 名前 |
阿部正方公墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/108351.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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小坂山山頂に墓があります元は神社が鎮座していたそうですが現在は社殿はありません20歳で病死した9代藩主阿部正方は幕末の動乱を駆け抜けた藩主で長州征伐や日光警護等の軍事行動だけでなく新涯町の干拓や新田開発等内政にも尽力した殿様だったそうです境内には旧福山藩士が奉納した手水鉢、石燈籠、第10代藩主阿部正桓が寄進した石燈籠があります墓石前の鉄製扉には阿部家の家紋である違い鷹の羽紋が施されています駐車場は無いので本荘運動公園に駐車してから徒歩での見学をおすすめします。