河内国総社で神八井耳命を祀る。
志貴縣主神社(河内國総社)の特徴
初代神武天皇の皇子を主祭神に祀る由緒ある神社です。
河内国の政治の中心地として崇敬されてきた歴史があります。
国分寺行脚をする際に必ず訪れたい重要な総社です。
小さい頃、この神社で遊んでいました。とても思い出深い場所です。今は少し遠くに住んでるのですが、行くと不思議な気持ちにさせてくれます。石碑には亡くなった父の名前が書かれています。以前は隣接している了信寺の裏側は住宅街ではなく、子供からしたら森のようになっていました。またお参りに行きます。
2023年5月、全国総社巡りの一環で参詣。柏原駅から自転車を借りてやってきました。河岸段丘の突端にあるため、北側が急坂になっています。全国でも総社や国府の類は古代から水害のない一等地に建ってますね。無人で御朱印はありません。
古代、ここが河内国の政治の中心だった。もちろん式内社。今は、子供たちが楽しく遊ぶ広場になっている。幼少期にこうした総社で遊べるなんて幸せだと思う。
初代神武天皇の皇子 神八井耳命(かんやいみみのみこと)を主祭神及び始祖とする志貴一族の氏神様。奈良時代からの朝廷直轄地であり、此の地に国府が置かれていので、河内国総社とされています。南北朝時初期には河内守である楠木正成公の祈願所として隆盛を極めていたようですが、楠木家の滅亡及び、中世以降の大阪夏の陣等戦乱で度々戦火に見舞われ、古来よりの神社は消え失せたようです。その後江戸時代から何度か遷座再建されたようですが、現存は明治5年(1872年)再建され村社としてこの地に鎮座なされています。
国分寺行脚をするものは必ず行かねばならない総社ですが駐車場はなく、ちょっと離れたスーパーに停めて参ってきました(1台なら数分の路上駐車はできたかな?)。これだけ道が狭いと消防や市民生活も困るはずで、昔の区画かもしれないが区画整理をしないのは行政の怠慢だと思います。
河内国総社。境内の乱雑さがまた昔っぽくて良いです。
河内国総社。境内の乱雑さがまた昔っぽくて良いです。
付近を散策していたら、こちらの神社が。紅葉と、雰囲気に吸い込まれるように。神社の歴史が石碑に書かれていました。不思議な神社。正面から拝見すれば、奥行きがある感じですが、横から見たら、そうでもない…不思議…
志貴懸主神社しきあがたぬしじんじゃ大阪府藤井寺市惣社1丁目6−23祭神神八井耳命志貴県主は神八井耳命の子孫でその祖神を祀ったものと思われます神八井耳命は神武天皇の長男で次男が綏靖天皇です長男が天皇にならなかったのは気が弱く、優しい性格の為で自分は神祇関係を管掌すると自ら宣言2020/7/16 参詣。
| 名前 |
志貴縣主神社(河内國総社) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
072-953-2525 |
| HP |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai11shibu/fujiidera-city/11048shikiagatanushijinja.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
志貴県主神社(しきあがたぬしじんじゃ)。大阪府藤井寺市惣社。式内社(大)、河内国総社。旧村社。【祭神】神八井耳命(カムヤイミミノミコト) (配祀)伊勢大神 春日大神 住吉三柱神【関係氏族】志貴県主資料によると、允恭天皇恵我長野北陵の北北東に鎮座する。縄文時代からの国府複合遺跡のある洪積層台地の北端に位置する。奈良時代の初期、このあたりの肥沃な水田地帯は、朝廷の直轄地として「河内の志貴(磯城)の県」といわれ、これを管理する豪族は、神武天皇の長子、神八井耳命を始祖とする志貴県主及びその同族である志貴首であつた。これらの豪族たちが本貫地に祖神を祭つて、氏神として創建したと考えられる。『新撰姓氏録』において河内国に登載されているのは「カムヤイミミ」を祖とする皇別氏族の方なので、当社の奉斎氏族も皇別氏族の「志紀県主」であった可能性が高いと言えます。中世には楠木正成の祈願所として社頭荘嚴を極めたが、楠木氏の衰亡とともに祠廟頽廃し、ついで屡々兵災に罹り、祠掌市部太夫が神体を奉じて吉野に遁れるなどの事もあった。社殿の台石は、近くにあつた衣縫廃寺の塔礎が使われている。「衣縫廃寺」は一名井上寺ともいはれ、推古天皇33年に高麗僧恵灌が建立したもで志紀一族の氏寺と言われている。律令制では国司が新しく着任すると国内の官社を参拝することになっていましたが、平安時代中頃から国府の近くに国中の官社の神々を合祀した「総社」を設け、国内の官社への参拝を省略するようになりました。とあります。