歴史深い本覚寺で梅を楽しむ。
本覚寺の特徴
1226年に開山された曹洞宗のお寺で歴史が深いです。
幕末にアメリカ領事館として使われた歴史があります。
境内には梅や御衣黄桜が美しく咲いています。
神奈川駅から見える高台にあるお寺さん歴史的背景としてはアメリカの領事館として〜〜〜ペンキを〜〜とペンギンかも〜ピンキーとキラーズが〜との事である(。-ω-)zzz. . . (。゚ω゚) ハッ!個人的見所は山門と水路にある山門の番人カリフラワーの様な大木!(なんの木かは知らん!)本堂脇の水路見事な苔の群生地帯!( ・ิω・ิ)レリゴー♪
とても綺麗なお寺でした。階段の端にある干支の飾りが可愛いです。御朱印頂きました。
1226年に開山された曹洞宗のお寺です。元々は臨済宗のお寺だったそうです。1510年に上田蔵人入道の乱に巻き込まれ荒廃してしまったとのこのです。江戸末期にはアメリカ領事館にもなっていたようです♪
本覚寺(ほんがくじ)所在地 神奈川県横浜市神奈川区高島台宗 派 曹洞宗山 号 青木山寺 号 本覚寺御本尊 地蔵菩薩旧小机領三十三所子歳観音霊場第七番札所札所本尊 如意輪観世音菩薩※横浜市・川崎市・町田市の三十三ケ寺からなる観音霊場。この霊場は12年に一度のみ、各寺院秘仏の観音様の御開帳をする慣わしで、それが必ず子歳にあたることから別名「子歳観音」と親しみを込めて呼ばれます。曹洞宗青木山本覚寺は、嘉禄2年(1226年)開山の古刹です。もとは、臨済宗の寺院で宗祖・栄西により創建されたと伝わります。現在の高島台から権現山に掛けて続いていた丘陵に所在し、東海道と神奈川湊を見下ろす交通の要衝にあることから、戦国時代には、権現山城・青木城が造られていました。永正7年(1510年)一帯は、上杉氏と上田政盛との権現山合戦の戦場となり荒廃しましたが、享禄5年(1532年)に曹洞宗の寺院として再興されました。江戸時代には、一帯は東海道五十三次の宿場町として大変な賑わいだった様です。この神奈川宿には、「黒薬」という名物がありましたが、これは、本覚寺の当時の住職が本尊・地蔵菩薩のお告げによって作った霊薬と言われ、万病に効くという評判の薬でした。幕末には、横浜の開港とともに神奈川宿の多くの寺院が各国の領事館に接収され、本覺寺は横浜港が一望出来る事から、アメリカ領事館として3年間程接収されていた歴史があります。当時の寺域は、かなり広大だった様で七堂伽藍が建ち並んでいたが、近代に入り鉄道建設や第二京浜建設により寺域は削られ、更に火災や関東大震災もあり、大きな変遷がありました。
幕末の横浜開港後にアメリカ領事館として使われた寺。東海道線の車窓からいつも見ている寺だが、訪れるのは今回が初めて。境内は広く、鉄筋の立派な本堂が建っている。山門前に「横浜開港之主唱者 岩瀬肥後守忠震顕彰碑」がある。当時の幕府には小栗忠順、池田長発、岩瀬忠震のような英俊が何人もいた。狂ったように「尊皇」だ「攘夷」だと騒いでいた薩長の連中より、よほど洞察力も責任感もあった。本覚寺のある丘陵は戦国時代に青木城が築かれたが、遺構は完全に消失している。
横浜市神奈川区高島台にある曹洞宗 青木山 本覺寺に参拝🙏境内に梅が咲いていました。横浜開港アメリカ領事館跡の記念碑が山門横に、ホームページを見ると興味深い史寺があるので其方を見てからおまいりも良いかと。見所も沢山あります。快く対応して頂き御朱印を拝受しました。
アメリカの当時の外交官タウンゼント・ハリスが安政3 (1856)年アメリカなど各国の外交官が幕府に開港を要求。ここは当時神奈川宿。幕府は強引にハマに急ピッチで整備をして文久3(1863)年末には全て撤退して横浜に移った。慶雲寺〜フランス領事館浄瀧寺〜イギリス領事館。
御衣黄桜咲いてました。金運UPのご利益もあると言われてます。
干支の石、可愛かった。
名前 |
本覚寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
045-322-0191 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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東横フラワー緑道散歩のついでに立ち寄り。ここは「青木城」の跡でもあるそうで、確かに本堂からさらに奥に向かう斜面の石積みなどを見ると、その片鱗が伺えます。また横浜開港時にはアメリカ領事館が置かれ、その際に山門が白塗りされてしまった、という歴史を持つそうですが、さらにそれが近代塗装の発祥ということで「全国塗装業者合同慰霊碑」が置かれている、というちょっと面白い由来も持つお寺です。