江戸の守り神、八雲神社で祈る!
小舟町八雲神社の特徴
神田明神の境内に鎮座する小舟町八雲神社には、文化財指定の天水桶があります。
江戸城から移転した歴史を持つ、由緒ある神社です。
彩り鮮やかな四色屋根が特徴的で、訪れる人々を楽しませています。
「小舟町八雲神社(こぶなちょうやくもじんじゃ)」は、大伝馬町八雲神社と並び、日本橋の商人たちから絶大な信仰を集めてきた非常に由緒あるお社です。かつて日本橋小舟町にあった天王社が始まりとされています。江戸時代、小舟町は「魚河岸」や「鰹節問屋」が軒を連ねる江戸の食文化の中心地でした。この神社の祭礼は、神田祭の際に大伝馬町の「建桙」に続いて巡行する重要な役割を担っていました。明治時代以降、神田明神の境内に末社として合祀されました。御祭神は、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)主なご利益は、厄除け、商売繁盛、家内安全。特に小舟町周辺が物流や商業の拠点であったことから、仕事の成功や商いの安全を願う人々から敬われています。
神田明神の境内にありました。鉄製の天水桶が珍重されているようです。
小さい神社ではありますが、江戸の賑わいの産物なんでしょうか。
神田明神境内にある摂社。三天王の三宮。小舟町といえば浅草寺宝蔵門の提灯に書かれている地名で昔は天王祭で小舟町に御神輿が向かったのでこの名前で呼ばれています。鳥居をくぐると大きな狛犬に見下されます。
江戸の守り神とされた神田明神の境内にある3つの神社が1616年に幕府の手から町の名主に任されるようになってはじまり、小舟町天王祭は340年前に小伝馬町から小舟町に引継ぎ現在に至っています。神田明神境内に所在する「小舟町八雲神社」の祭礼を小舟町天王祭として4年に1度、執り行っています。町に隣接する堀留町児童公園に壮大な御仮屋が建てられ大神輿の渡御が行われます。明治時代には界隈に団扇を扱う団扇問屋が多かったことから旧暦6月10日~13日に開催された八雲神社天王祭では神輿に向かって多くの団扇がおひねり替わりに投げられ団扇天王と呼ばれました。
元は江戸城内にあったものが、この地に移されたのだそうです。
「小舟町天王祭の開催が六年ぶりに決定しました! 来年(2024年)、小舟町にあの熱気が戻ってきます! 神田明神境内に鎮座する「小舟町八雲神社」の御祭礼として、 小舟町で四年に一度開催されてきた江戸三大祭 の一つである小舟町天王祭は、 コロナ渦と堀留町児童公園の整備工事等のため、 開催が延期されてきましたが、 いよいよ来年九月十二日から十四日の三日間、 六年ぶりに開催されることになりました。 新たに整備された堀留町児童公園に立派な御仮屋が建てられ、大神輿の渡御旅が行われます。」
お祭りのときは見応えのある神輿が見えて良かったです。
御本殿の横にある「小舟町八雲神社」は神田神社境内にある末社で、ご祭神は建速須佐之男命、祭礼日は6月6日です。神田明神のHPによれば『小舟町八雲神社鉄製天水桶 一対千代田区指定有形民俗文化財(平成17年4月1日指定)この天水桶は、地上の高さ1,4メートルほどになる一対のもの。なお、四角形の基壇と台座は石製。銘文によれば、天水桶の奉納者は、江戸の魚問屋中に属する商人・遠州屋新兵衛他十名で、塩干肴や乾物などの流通を担った商人のことで、日本橋にあった魚市場の界隈に軒を並べて商いをしていた。鋳造したのは、江戸深川上大島町(江東区大島)の鋳物師・大田近江大掾藤原正次(釜屋六右衛門、通称、釜八)。釜屋六右衛門家は、11代続いた御用鋳物師の家系で、初代六右衛門は近江国栗太郡辻村(滋賀県栗東市辻)から寛永17年(1640)に出府している。当初は芝に居を構えていたが、万治元年(1658)に大島村に転居した。梵鐘、天水桶、茶釜、鍋、釜などを製造していたが、明治維新後に廃業。鳥居を入って左側の天水桶は、安政4年(1857)に再建されたもので、右側の銘文をもとに鋳造したもの。』と書かれています。
| 名前 |
小舟町八雲神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
http://www.kandamyoujin.or.jp/info/keidai/detail.html?kid=26 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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神田明神境内の小舟町八雲神社は、表の大社殿を見たあとに寄ると、神田明神が“江戸総鎮守”であるだけでなく、町ごとの祈りを抱え込んできた場所でもあることがよく分かります⛩️。場所は外神田二丁目、湯島から坂を下ってくると文京区と千代田区の境目がゆるむあたりで、区境散歩の途中に挟むのにちょうどいい。小ぶりな社ですが、背負っている歴史はかなり濃いです。神田明神の境内案内でも、境内社の一つとして位置づけられています。固有名から入ると、この社の輪郭がはっきりします。まず「小舟町」。現在の中央区日本橋小舟町に通じる地名で、近世には魚問屋や商人が集住した商業の町でした🐠。その町の守護神がこの八雲神社です。祭神は建速須佐之男命。疫病除けの神として知られ、近世には牛頭天王信仰と結びついて、八雲神社は“天王さま”として町人に深く信仰されました。実際、小舟町八雲神社は江戸時代には「祇園牛頭天王社(二の宮)」とも呼ばれたと案内されています。つまりこれは、単なる境内の小社ではなく、江戸の町人社会が災厄除けを託した社の生き残りです。さらに面白いのは祭礼の歴史です。小舟町町会の案内では、神田明神境内にあるこの八雲神社の祭礼が「小舟町天王祭」として今も4年に1度執り行われ、340年前には小伝馬町から小舟町に引き継がれたと説明されています。町会レベルの祭礼が、いまも神田明神境内の一社と結びついて続いている。ここに江戸の町内信仰のしぶとさがあります。私は湯島から神田明神へ抜けるたび、こういう社を見ると、大きな社殿だけでは見えない“町人の江戸”が立ち上がるのを感じます。