三原城跡と新幹線、歴史が交差!
三原城跡の特徴
三原駅に直結している天守台跡で、アクセス抜群です。
小早川隆景が築城した浮城と称される歴史的遺産です。
新幹線が天守台の上を走り、ユニークな景観を楽しめます。
駅から直結のお城にびっくり。地下の石垣の扱いに愕然。実際に行ってみると、急峻な山に囲まれた平地の少なさもあり、鉄道を引くには致し方なかったのかと。ただ、市民の憩いの場になっているのは微笑しい。石垣の傾斜具合が美しいが、修復も必要かな。
毛利元就の三男の小早川隆景が1567年に築城されました。沼田川の河口の立地を活かし、瀬戸内海に浮かぶ大島•小島を繋いで築かれ、満潮時には海に浮かんでいるように見えたことから、浮城とも呼ばれる。かつては櫓が32、城門が14もあった巨大な城郭だったそうです。明治維新の後、鉄道が本丸を貫通して三原駅が開業。その後も市街地化が進み、現在では天主台跡とその濠、船入櫓跡、中門跡などが残るのみになっています。城跡がJR三原駅と一体化している独特な景観です。天主台へのアクセスは駅のコンコースからから、というのはユニークですね。天主台の周辺は三原城跡歴史公園として整備されています。高架下の石垣を見ることも出来ます。三原駅を利用する際には、訪れて見ることをお勧めします。
☆JR三原駅の新幹線が本丸の真ん中を通る珍しい続日本100名城No172「三原城」😅現存するのは本丸北側先端の天守台のみ、他は船入櫓跡と舟入堀一部が残るのみで城域は市中に殆どが埋没し消滅。毛利元就三男『毛利両川』名将「小早川隆景」が築城完成させた三原城、瀬戸内海に向けて広がり海水を各曲輪の堀に取り込み、瀬戸内海から船が寄港できる舟入を配した「海城」雄大な天守台には天守は建造されず、本丸の四方に隅櫓を設け城内には櫓32と城門14を構築した堅城、縄張は「輪郭式平城」素晴らしい。☆毛利の名将「小早川隆景」遺構☆
駅を出たら、すぐ目の前に天守が見えるので「おお、これはすごい!」と最初はかなりテンションが上がりました。…が、盛り上がったのはそこまででした。いざ天守台のところまで行ってみると、周りにはそれ以外ほとんど何もなくて、ちょっと拍子抜け。しかも次の電車が来るのは50分後。山陽本線はこのあたりだと1時間に1本くらいなので、これがなかなか不便なんですよね。隣の駅に行きたいだけなのに、結構待たされます。ということで、うちのかみさんは天守台にあるベンチでのんびり昼寝。私はそのあたりをぶらぶら歩きながら、小早川隆景の像を見たり石垣を眺めたりして、なんとか時間をつぶしていました。
三原の神明市に来た際に訪れました。三原駅構内から城跡まで繋がっていて、なかなか面白い風景が見られました。ここまでお城に食い込んだ位置にある駅は珍しいと思います。通過待ちで停車中の新幹線もよく見えました。城跡としてはここからではなくお堀の周りや高架下の石垣を見た方が楽しめると思います。見学に時間がかからないですし無料なので三原駅を利用する予定の方は是非訪れてみてください。
三原城は小早川隆景の知恵と戦略が凝縮された名城です。海と陸を一体化させた「浮城」として知られ、潮の満ち引きで堀が変化する姿に、戦国時代の要塞としての機能美を感じます。現在は天守こそ残っていませんが、石垣や堀の跡に往時の迫力が漂い、静かな公園として整備された城跡からは瀬戸内海が一望できます。歴史好きなら一度は訪れたい場所で、隆景公の知略と温厚な人柄を想いながら歩くと、まるで時を超えて語りかけられているような感覚に。三原の誇りを象徴する歴史遺産です。
三原駅に接続しているお城です。本丸の石垣がしっかり残っていて、外側から見た方が良いかもしれません。続100名城スタンプは観光案内所にありますが、車で行かれる場合は城のある北側の駐車場の方が広いので、こちらに停めた方が良いです。
「三原市:三原城跡」2024年11月に訪問しました。備後国御調郡三原にあったお城です。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(172番)に選定されています。歴史を見ると、1567年頃に小早川隆景によって整備が始められたと考えられています。隆景は1550年に竹原・沼田・両小早川家を掌握し、翌年には高山城に入城しました。その後、1552年、沼田川対岸に新高山城を創築し本城としました。1555年には、厳島の戦いに水軍を率いて毛利勢の勝利に貢献するなど、毛利家での存在感を高めていきます。後に隆景は、現在の沼田川河口の三原湾に浮かぶ小島や中州をつないで、いわゆる砦を築き水軍の拠点としました。これが三原城の原型を成したものと思われ、三原要害とも呼ばれていました。当時、新高山城下まで瀬戸内海は深く湾入していたものの、勢力を強める小早川水軍(水運)の差配には、より効率的な運用が期待できるこの地に「三原城」を整備したものと思われる。1580年から10年にかけて、さらに整備が進められます。そして隆景は、新高山城から三原城へと本拠を移したのです。三原城は、瀬戸内海を軍事的に掌握する為に建てられた城です。なお、三原を代表する祭り「やっさ祭り」で披露されるやっさ踊りは、「この築城完成を祝って老若男女を問わず、三味線、太鼓、笛などを打ちならし、祝酒に酔って思い思いの歌を口ずさみながら踊り出たのがはじまり」と伝わっています。
続100名城ですスタンプは駅を出てすぐの観光案内所にあります御城印、パンフレットもありますとても親切な応対でした日本一駅に近いお城跡です(本丸に駅が作られてます)駅構内から天守台へ登ることができます小早川隆景築城のお城でたいへん立派な天守台が残ってます1567年毛利元就の三男である小早川隆景が築城開始1582年頃から城下町を整備し、新高山城から三原城に移り住んだその後、隆景は伊予へ転封、そして筑前へ転封1595年養子の秀秋に家督を譲り、三原へ帰り隠居、97年に三原城で亡くなりました関ヶ原後は安芸に入封した福島正則の支城となります1615年、一国一城令が出ますが三原城は存続が認められました福島正則改易後は浅野長晟が入封、浅野氏の支城として明治維新を迎えました新幹線が止まる駅でよく天守台が残りましたね今は天守台から海は見えません(三原港まではおよそ300m歩いてすぐですが…)当時の絵図を見ると目の前に瀬戸内海が広がり、まさに海城です。
| 名前 |
三原城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0848-64-9234 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 6:30~22:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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続日本百名城No.172 三原城.城の中を新幹線が通っている2つの城の1つ. 一方の福山城は新幹線の駅が隣接している(駅の工事により三の丸は完全に破壊)イメージだが、三原城は天守台と駅が一体になっているほどであり、往年の遺構は天守台と駅下に残る石垣以外にほぼ無い.天守自体は建設されなかった天守台だが、その規模は非常に大きく壮大. そしてその勾配の美しさも特筆すべきもの.小早川隆景が築いた往年の海城は、どんなに立派なものだったろう.訪れた際は天守台のツツジが見頃で美しいタイミングでした.