元和二年の歴史、鬼子母神の祈り。
碑文谷鬼子母神の特徴
瓦屋根の木造お堂に祀られる鬼子母神が魅力です。
元和2年に安藤藤八郎が建立した歴史的な寺院です。
手入れが行き届いた古いお堂が心を和ませます。
瓦屋根木造のお堂に鬼子母神が祀られています。お堂は龍の木彫が施されており、恐らく戦前の建立と思われます。碑文谷鬼子母神は、目黒区教育委員会が設置した説明板記述によると、「元和2年(1616)安藤藤八郎が、十羅刹女、鬼子母神をお祀りして堂宇を創立したのが始まりで、今も当時の板碑が残っている」、とのこと。400年以上にわたって、ここで祀られていることになります。
古いいですがよく手入れされた、お堂でした。
元和2年(1616)に安藤藤八郎という人物が建立したそうです。
元和名2年、安藤藤八と言う人が、村人の幸福と子孫の繁栄を願って鬼子母神と十羅刹女を勧請して、目黒本町5丁目の体育館付近に建立したと言われております。
名前 |
碑文谷鬼子母神 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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案内板には、「元和2年(1616)安藤藤八郎が、十羅刹女、鬼子母神をお祀りして堂宇を創立したのが始まりで、今も当時の板碑が残っている」とあります。元々は、法華塚と呼ばれた場所で、さらに古墳跡のようです。交差点の反対側からよく見ると、盛り上がった場所です。