三田氏館跡の小さな森。
谷保の城山歴史環境保全地域の特徴
水路や田畑、雑木林が広がり、散歩に最適な環境です。
東京都指定史跡三田氏館跡が保存されています。
青柳段丘の南端で歴史的遺産と自然が融合した場所です。
三田氏の城趾うっそとした木々があり散歩に良いヤクルト寄贈。
中世豪族の館の跡と伝えられ、東京都の歴史環境保全地域に指定されている城山は、コナラやブナ、クヌギのそびえるこんもりとした小さな森を形づくっています。春には、白い可憐なヒトリシズカや紫色のタチツボスミレ、夏には、キツネノカミソリが生い茂るまさに自然の宝庫です。
この辺りは水路やまだ田畑、雑木林もあり散歩に最高です。
子供の頃、この辺は田んぼだらけで、民家も少なく、目立つ建物と言えばヤクルトの工場くらいでした。良くこの辺りでカエルやザリガニや、カブトムシをとったりしてました。あの頃は、ジョーオー山とみんな呼んでました。で、迷い込むと怖いおばあさんがサンダンジューとかいう武器を抱えて追いかけてくる、なんていう都市伝説的な噂が子供達の間に広まってたりして。なんか、懐かしいというか、切ないというか、街もすっかり変わりましたね。
「三田氏館跡」として東京都指定史跡になっている。城郭は中世の「方形的居館様式」の変形で、「複郭式館城」の特徴を残しているものだそうだ。江戸時代からその存在はよく知られており、従来から「三田城」、あるいは「三田氏館」と呼ばれてきたことから、中世の三田氏との関係が推測されてきたものの、発掘調査などは行われておらず、詳細はよくわかっていないという。一帯は「歴史環境保全地域」に指定されており、武蔵野の自然環境をよく残している。城山中心部は個人宅の敷地であるために立ち入りができないが、周囲の遊歩道から鬱蒼と木々の茂った雑木林や木々に包まれた神明社の佇まいなどの武蔵野の原風景をうかがい知ることが出来る。
谷保城跡に行こうとしてここに来たが、館跡の一部を保存しているとの事。
(東京都環境局ウェブページより)自然の概要:青柳段丘の南端にあり、青柳崖線の一角に歴史的遺産と一体となって、小規模ながらひときわ良好な自然地を形成している。区域内の植生は南側崖部分のシラカシ、ケヤキ林、南側土塁部分のイヌシデ林によって代表されるほか、北側平地部分にはクヌギ、コナラの雑木林が生育している。これらに囲まれた中央部は、ケヤキ-シラカシ屋敷林から常緑樹の多い自然林に移行しつつある。保全の方針:館跡の遺構と樹林を一体として現状のまま保全する。段丘上の屋敷林及び段丘下に続く常緑広葉樹林は自然の遷移に委ねて、この地域本来の植生に戻していく。一部の雑木林は明るい林として現状を維持する。谷保の城山の歴史:城山(じょうやま)とは都史跡三田氏館跡の通称である。別に三田城、谷保城とも呼ばれているが、三田氏所蔵の古図によれば、万治版(万治11年、1659年)に「津田三郎為守城山」と、また天保版(天保11年、1840年)に「津田三郎為守ノ城跡故ニ名テ城山ト云ヒ来ル」と記されている。津田三郎為守は菅原道真の子孫と伝えられ、石橋山合戦(1180年)以来、源頼朝に属して多くの武功をあげ、仁和4年(1243年)没した。天保版は三田氏の祖先、三田林内の筆になるものであることから、城山は津田氏の館跡であり、鎌倉初期のものと考えられる。その他:谷保の城山ふれあいボランティアが保全活動を行っている。また、JR南武線矢川駅を起点とし、同線谷保駅を終点とする、矢川緑地保全地域と谷保の城山歴史環境保全地域を結ぶ「雑木林のみち 矢川・青柳コース」が整備されている。
名前 |
谷保の城山歴史環境保全地域 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/nature/natural_environment/tokyo/area/06_yaho.html |
評価 |
3.8 |
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矢川緑地と比べると、規模としては小さいですね。水辺も少なめでしたし、これ単体だとちょっと物足りない感はありました。ただ隣にある城山公園とその隣にある古民家のセットで訪問すれば、それなりに楽しめると思います。