不知火の錨、歴史の重み。
駆逐艦「不知火」の錨の特徴
芥川龍之介文学碑に隣接し、歴史的な雰囲気が漂う場所です。
日露戦争で活躍した駆逐艦不知火の錨が展示されています。
両国小学校の敷地内にあり、歴史を感じる隠れたスポットです。
この錨は日露戦争で活躍した日本海軍の駆逐艦「不知火」のものです。両国一丁目の鉄鋼業岡田商事(旧岡田菊治郎商会)が軍艦の解体作業で得たのを昭和の初年に江東(現両国) 小学校に寄贈したものだそうです。なぜこんなものを小学校に寄贈したのか不明ですが、高い柵の中にあるので写真が撮りづらいです。
明治のさまざまな戦争を戦い抜いてきた「不知火」が1925年に引退し解体されたのでこの両国小学校に錨を寄贈したんやとそれにしても…大東亜戦争のときの金属供出でよく持っていかれへんかったもんやな😅さんざん戦場を潜り抜けてそのシンボルたる錨は金属供出で持って行かれてないって…めっちゃ強運輝かしいやんー✨学校に寄贈したのは大正解ですな👌
両国小学校の敷地内、道路に面したフェンスの中に展示されている駆逐艦「不知火」の実物の錨です芥川竜之介文学碑の裏手あたりになりますこれらの錨は昭和初年に両国の鉄鋼業の会社が不知火の解体で得たものをこの小学校に寄贈したものらしいですので、かれこれ100年近く前のこと不知火の錨もさることながら、何気なく通り過ぎていた両国小学校が100年以上の歴史がある伝統校だったことが分かりました錨自体が大きいのと歩道ギリギリのフェンス内に展示されていることで全景を写真に収めるのが難しいです【錨の由来】(説明板より)この錨は日露戦争(1904年〜1905年)で活躍した日本海軍の駆逐艦「不知火」のものである。この艦は英国ソーニー・クロフト社製造・起工明治31年・進水32年・326トン・( 艦長63.5メートル・5,470馬力・30ノット・火砲6門・発射管2基・煙突2基)の構造である。錨の裏側にあるアルファベットと1898の刻印は錨の製造年と推定される。猶この錨は両国一丁目の鉄鋼業商事(旧岡田菊治郎商会)が岡田軍艦の解体作業で得たのを昭和の初年に江東(現両国)小学校に寄贈したものである。平成三年 月両国(相生・江東)小学校同窓会。
芥川龍之介文学碑すぐ横の両国小学校の敷地内にあります。柵越しではありますが、説明看板も設置してあり、錨も良く見えます。不知火は1899年5月13日、イギリスのソーニクロフト社で竣工し、1900年6月22日に軍艦に編入されています。1904年に日露戦争が始まりますが、旅順口攻撃、黄海海戦、日本海海戦、樺太の戦いなどに参加しています。その後は第一線を退き、特務艇(掃海艇)として活躍しますが、1925年2月25日に廃船となります。この錨は廃船の解体作業を行った両国一丁目の鉄鋼業者(岡田鉄工所)が昭和の初年に江東(現両国)小学校に寄贈したものになります。
芥川龍之介文学碑すぐ横の両国小学校の敷地内にあります。柵越しではありますが、説明看板も設置してあり、錨も良く見えます。不知火は1899年5月13日、イギリスのソーニクロフト社で竣工し、1900年6月22日に軍艦に編入されています。1904年に日露戦争が始まりますが、旅順口攻撃、黄海海戦、日本海海戦、樺太の戦いなどに参加しています。その後は第一線を退き、特務艇(掃海艇)として活躍しますが、1925年2月25日に廃船となります。この錨は廃船の解体作業を行った両国一丁目の鉄鋼業者(岡田鉄工所)が昭和の初年に江東(現両国)小学校に寄贈したものになります。
芥川龍之介の文学碑の直ぐ裏に有ります。日清戦争時の駆逐艦不知火の錨とのこと。本物でなくレプリカと思われます。小学校の柵の内側にあり、アピールしたいのかしたくないのか良く分からない位置に有ります。
これは目立ちませんね。普通に歩いていると見逃してしまいます。
学校の裏側に置いてあります。説明文がありますので、一読する事をお薦めします。柵の中に有るのは、敷地内なので仕方ないと思います。
日本の危機を救った一隻歴史の重みを感じる錨です。近くの山田記念病院前には駆逐艦初霜の錨が展示してありますよ。こちらも是非。
| 名前 |
駆逐艦「不知火」の錨 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
吉良邸跡のすぐ近く、両国小学校の敷地内で見かけた巨大な錨。これは日露戦争で活躍した旧日本海軍の駆逐艦「不知火(しらぬい)」のものです。明治32年に英国で進水したこの艦は、日本の海を守る最前線で戦いました。昭和に入り、軍艦の解体を行った業者が当時の江東小学校(現・両国小学校)に寄贈したのだそうです。江戸時代の討ち入り跡から、明治の近代軍艦の遺構へ。朝の散歩で、重層的な歴史の移り変わりを肌で感じることができました。《解説看板》この錨は日露戦争(一九〇四年〜一九〇五年)で活躍した日本海軍の駆逐艦「不知火」のものである。この艦は英国ソーニー・クロフト社製造・起工明治三十一年・進水三十二年・三百二十六トン・(艦長六三・五メートル・五四七〇馬力・三〇ノット・火砲六門・発射管二基・煙突二基)の構造である。錨の裏側にあるアルファベットと1898の刻印は錨の製造年と推定される。猶この錨は両国一丁目の鉄鋼業岡田商事(旧岡田菊治郎商会)が軍艦の解体作業で得たのを昭和の初年に江東(現両国)小学校に寄贈したものである。平成三年三月両国(相生・江東)小学校同窓会。