戦国の雰囲気漂う、世田谷城跡。
世田谷城跡の特徴
世田谷の住宅街の中にある貴重な城跡が訪問者を魅了します。
空堀や土塁など、戦国時代の遺構が見どころとして残っています。
楽しいお散歩に最適な場所、自然に包まれた静かな公園です。
昭和15年に開園した世田谷区内唯一の「歴史公園」で「東京都指定文化財」にもなっています🤓公園内には、昔のおもかげを残す土塁や丘、谷があり、樹木に覆われた自然豊かな公園で、世田谷百景にも選ばれています。さぎ草の伝説の主人公「常盤姫」もここに住んでいました👰♀️なお、世田谷城は、初代吉良氏が南北朝の頃、関東管領・足利基氏から、戦の手柄により、武蔵国世田谷領をもらいうけて築城したのが始まりであると言われています🏯以後、吉良氏八代、二百数十年の間、居城として栄え、吉良御所、世田谷御所と呼ばれました。1590年(天正18年)豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼしたとき、北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命を共にしたため、廃城となりました😓
書により「世田谷城跡」をしらべてみる_____________❶【参考 世田谷・駒沢名勝史蹟誌 1927年】[世田谷城の様子と歴史]世田谷城跡は、現在の豪徳寺に隣接する「城山(しろやま)」と呼ばれています。高い木々がうっそうと茂る丘の周りには空堀(からぼり)が巡らされ、土手は二重に築かれています。一段高くなっている場所は「櫓(やぐら)跡」と呼ばれています。正慶元年(1332年)、鎌倉公方の足利持氏が吉良治家に世田谷郷を与えました。それ以来、吉良家は8代・約240年間にわたってここに住み、その居館は「世田谷御所」と呼ばれました。[城下町の賑わいと落城]この地は15万石(あるいは18万石)を領する城下町として多くの商家が立ち並んでいました。さらに甲州街道や相州街道が通る交通の要所でもあったため、宿場町として非常に賑わっていました。しかし、天正18年(1590年)7月18日、小田原城の落城と運命を共にすることになります。付近の民家も戦火に包まれ、かつての繁栄は夢のように消え去り、現在は「城跡」と「御所桜」にその名残を留めるのみとなりました。[吉良家のルーツ]吉良家は、清和天皇から数えて11代目の末裔である足利左馬頭(源義氏)が、三河国(愛知県)の吉良荘に初めて城を築いたのが始まりで、これを「東条吉良」の元祖とします。その後、「7代目の治家(はるいえ)」に至り、正慶元年に関東へ下向。武蔵国荏原郡奥沢に移り住んだ後、建武元年(1334年)に世田谷に城を築いて「治部大輔(じぶのたいふ)」と名乗りました。これが「世田谷御所」の初代です。[江戸時代以降の変遷]徳川家康が江戸に入った後(天正20年/1592年)、世田谷郷は幕府直轄領(上知)となり、代わりに上総国(千葉県)の寺崎村で1125石を与えられました。8代目の氏朝(うじとも)は同地に留まり「学翁斎」と号しました。氏朝の息子である蒔田頼久(まいた よりひさ)は寺崎村へ移住しました。その子孫は代々、幕府の儀式を司る「高家(こうけ)」という家格を継いでいきました。
近所の保育園の子どもたちの遊び場になっているようです。そんなに大きくない場所ですが静かに散策したい方は午後の方がいいかも。
20250818今は公園になっている世田谷城跡。今は蛇崩緑道になっているところが、川になって、城の三面を防御していたのだとか。確かに、公園が立地する場所は少し高台になっています。ただ、規模があまり大きくないのと、最後は北条氏についたものの、秀吉方に打ち破られ、戦史にも残っていないようなので、むしろ、砦のようなやくわりだったのかなと想像。ただ、史跡がこうして現代でも保存されていることは意義がありますね。
昔から意味ありげで、憧れていた城跡公園。交通看板などで名前だけ知っていたが、ついに訪問してみた。城跡らしきものはなくマウント丘だけだったが、兵どもが夢のあと…ってな感じ。これはこれでまたよい。
豪徳寺のすぐ裏手に小高い丘的な森が広がりますが、そこがこちらの世田谷城跡です。元々世田谷城は清和源氏、そして足利将軍家につながる名門、吉良家が収めていた居城でした。こちらは現在世田谷区の公園となっており、自然も適度の広がる心休まる場所です。休日ともなると家族連れがポツポツ訪れ、また若干砂っぽい場所ではありますが、ベンチで読書などをする若者が居たりします。大きさはコンパクトなのすぐに見て回れます。石垣、堀の跡様のものがかすかに残っていますので、そういう意味では楽しめるかもしれません。
世田谷城跡。世田谷にもお城がありました。14世紀後半から15世紀前半にかけて、当時の世田谷を治めていた吉良氏によって築かれたとされます。世田谷に後北条氏の勢力が伸びると、吉良氏は後北条氏と血縁関係を結びましたが、しかし、1590年の小田原籠城戦が起こると、この城は豊臣秀吉に接収され、戦後には廃城となり、城としての役目を終えました。どのようなお城であったのか、その実態は分かっていない部分が多いのですが、豪徳寺付近に本丸を構えて、今の経堂から南に突き出た舌状台地の上に建ち、三方を烏山川が流れて天然の堀になっていたと言われています。現在は公園として整備されていますが、土塁や空堀の一部が遺構として現存しています。
豪徳寺を背にして参道の左側に広がる土塁や空堀の跡が整備されて公園になっています。室町時代に吉良氏によって築城され、小田原北条氏が敗れた時に廃城となりました。説明版にも書かれている通り、豪徳寺が本丸で、城山通りと名のある通り、もっと広大な領域がお城だったと思われます。豪徳寺参道のアパートなどにきれいな土塁が残っており、大切に守っていってほしいです。東京都文化遺産に指定されています。豪徳寺にお参りされる際にはぜひ寄ってみてください。
世田谷城跡。世田谷にもお城がありました。14世紀後半から15世紀前半にかけて、当時の世田谷を治めていた吉良氏によって築かれたとされます。世田谷に後北条氏の勢力が伸びると、吉良氏は後北条氏と血縁関係を結びましたが、しかし、1590年の小田原籠城戦が起こると、この城は豊臣秀吉に接収され、戦後には廃城となり、城としての役目を終えました。どのようなお城であったのか、その実態は分かっていない部分が多いのですが、豪徳寺付近に本丸を構えて、今の経堂から南に突き出た舌状台地の上に建ち、三方を烏山川が流れて天然の堀になっていたと言われています。現在は公園として整備されていますが、土塁や空堀の一部が遺構として現存しています。
| 名前 |
世田谷城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
公園として整備されています。土塁とお堀の跡がわかります。ベンチ有り。