神武天皇ゆかりの由緒ある多家神社。
多家神社の特徴
神武天皇が東征中に滞在した由緒ある神社です。
古事記や日本書紀にも記載されている歴史ある場所です。
広島城の建物を移築した宝蔵が珍しい神社です。
参拝し書置き御朱印2種をいただきました。階段を登ると立派な拝殿がありました。御朱印は下の社務所でいただきました。
神武天皇が東征の際に7年滞在されたとされる場所に作られた宮。小高い丘の上にある荘厳なお宮でした。
初代神武天皇が立ち寄った由緒ある神社です。古事記に多祁理宮、日本書紀では埃宮と書かれている神社なので御朱印も二種類ありました。ずっと場所が特定できなく、明治になってようやく今の場所に決まったという変わった経緯があります。歴史は長いですが近代に建立されたため広々として整った綺麗な神社です。本殿、拝殿は高台の森の中にあり石段はかなり長いです。麓には大きな遊具がある広い公園がありました。初詣は多くの人で賑わい、近くにある約50台程停められる臨時駐車場には駐車待ちの車列ができてました。サッカー日本代表のエンブレムや、都市伝説で有名な八咫烏が祀られています。広島市内の神社ではあまり見ないのでちょっと嬉しかったです。
由緒ある神社で、古事記・日本書紀ゆかりの神社だそうです。境内はとても綺麗で、車でも直接乗り入れることができます。御朱印は、書き置きですが頂くことができました。
『延喜式(えんぎしき)』という平安時代の文献に記載された「多家神社」はココだ!と言われている神社です。神武天皇が日向国(宮崎県)から橿原(奈良県)へ向かう道中に立ち寄った場所と言われています。しかし、歴史を重ねるうちに『延喜式』の「多家神社」は場所が分からなくなります。そして地元では「惣社(そうじゃ)」と「松崎八幡宮」という神社が「我こそが多家神社である」と主張しあうようになりました。※両社とも現存しません。明治時代になり「真の多家神社」を決めることとなるのですが、なんと真の多家神社は「惣社」でも「松崎八幡宮」でもなく、神武天皇伝承のある「誰曽廼森(たれそのもり)」という驚きの展開を迎えます。そうして設けられたのが、現在の多家神社になります。社殿には、当時、厳島神社につぐ豪華さを誇る三の丸稲荷神社(広島城)の社殿が用いられました。戦前期、社殿は燃えてしまいましたが、宝蔵は今なお残っており県の重要文化財になっています。交通ですが、駐車場が充実しています。神社の前から広島駅に向かうバスが出ています。JR天神川駅からは少し歩くような感じです。また社務所のある下のところから、社殿にあがる階段は急なので、足に自身のない人は境内まで自動車で上がるか、迂回して社殿まで歩く方が良いと思います。良いお参りを。
麓の⛩️・階段の所から格式の高い神社なのを感じさせられましたが、その通り階段を上がると壮大な境内が広がってました👀‼️👀‼️平日に行ったのもありましたが、何か神々しい雰囲気や重厚さをひしひしと味わされ圧倒させたのを思い出しました‼️
神仏にあまり深くないのですが立派なところです。トイレもあります。駐車場の場所がわからず裏参道から境内まで上がったんですがどうやら表参道の方にあったんですね😅境内から上に上がるとお墓があり、離合ギリギリの道なので普通車は要注意です。
神武天皇が7年間滞在したと言われております。御祭神は神武天皇 安芸津彦命道案内をした八咫烏が御朱印の中にいらっしゃります。わたしがいた平日午前中、ひっきりなしにお参りの方がいらっしゃっておりました。山陽本線天神川駅から15分弱、大変立派なお宮さんでした。
子供の頃は普通に遊び場としていたから気にもしなかったけど、由緒ある神社だったようです。金鵄と八咫烏とかって身近なところであると思ってなかったです。
名前 |
多家神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
082-282-2427 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.4 |
周辺のオススメ

主祭神は神武天皇、安芸津彦命、相殿神は神功皇后、応神天皇、大己貴命。式内名神大社の後継神社として、明治6年創祀。神武天皇が東征の時に立ち寄られたとされる格式のあるたいへんありがたい神社です。