菅原道真公の合格祈願。
尾長天満宮の特徴
合格祈願にぴったりの学問の神様、菅原道真公が祀られています。
階段を上がった先には素晴らしい眺望が広がり、参拝者を迎えます。
被爆建物の社殿を残す神社で、歴史が感じられる訪問先です。
御祭神・菅原道真公・大穴牟遅神荒神・少名毘古那神平安時代まだこの地は広く海でありました。尾長山に「明星峰天神社」という小さな社がありました。延喜元年(901年)菅原道真公が太宰府に左遷されたとき、当地に着船されました。明星峰天神社に参詣後、しばらく休息を取られました。久寿元年(1154年)安芸国守「平清盛」主従がこの明星峰に参詣の際、山中にて大豪雨と落雷の災難に遭い、進退絶命を感じましたが、不思議にも九死に一生を得ました。清盛は雷雨の中で知らず知らずのうちに、遥かに道真公の御加護を熱願していたことに気付き、深く神徳に感銘を受けました。よってこの一帯を信仰の山「菅大臣の峰」と名付け、峰に社殿を創建して、道真公の神霊をお祭りすることとしました。これが当宮のはじめです。文和年中(1352〜1355年)武田弾正少弼直信が明星峰天神社と清盛創建の神祠を合併し、「天神宮」と称し、武田氏(当時、佐東銀山城主)の守護神とした。寛永十七年(1640年)京都の人で連歌の宗匠松尾甚助忠政願主となり、「天神宮」(古天神と称す)を里近くの明星峰の麓(尾長村)に分社し、社殿を造営した。これより「尾長天神宮」と称す。以後、国守光晟を始め、歴代国主の参詣が相次ぎ、また参詣者が多く賑わった。享保三年(1718年)「天満宮」と称す。明治五年(1872年)「尾長天満宮」と称す。昭和二十年(1945年)社殿が原爆被災により大いに破壊され、一時「尾長天神社」と称することになった。昭和二十七年(1952年)「尾長天満宮」の名称に戻した。御朱印あり寺社巡りショート動画https://youtube.com/shorts/MEdxFfRyZYc?si\u003d1EShKNF0otZDRLRG寺社巡り動画https://youtu.be/wx9YWpf6q2w?si\u003dLajAcb7XIv3Z_caG
長女の合格祈願に御利益ありましたので(笑)今回は長男の合格祈願に🙏牛の頭を撫でまくりました。
令和6年8月12日参拝少し高台にある神社です。
二葉山麓七福神めぐり、仙台東照宮から徒歩約10分程で菅原道真公が祀られている尾長天満宮に到着します。境内には登竜門や合格の木など流石に学問の神様らしい神社です。撫で牛も門をくぐったところにおります。七福神は寿老人が祀られています。神社手前の急坂が少しキツいですよ~
梅が咲いていると言うことで訪れました。広島駅の北口から近く、駐車場もありますので便利です。梅がきれいでした。周辺は神社巡りもできてゆっくり散策するのにとても良かったです。
廣島七福神の一つだから参拝者もあるのかな?という感じで、あまり目立たない、神社でした。階段が急で、お年寄りは無料かも。高台にあるので、夜行けば夜景が眺められるかも。御朱印は、おきがみで300円。
国家試験の前日、ひとり神頼みに行きました。無事合格させていただきました。小さな神社ですが、御利益はとても大きなものでした。
拝殿までの道は階段が続きますがお参りが終わると清々しい空気です巫女さんの優しさが心地よくお守りを購入が出来ました。こういう対応は本当に心が軽やかになりまたお参りしたくなります。
参拝をした祭、宮司さんにお祓いをしていただけました。お祭りの日だったみたいで、たくさんの人で賑わっていました。
名前 |
尾長天満宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
082-262-2679 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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旅行先で訪問元旦だったのでここも行列か、、と思って上に着くと狭いので納得お札等購入のために再度並び直さねばならず、絵馬は別の場所で書けばいいのになぁと思ってしまいました。