江戸時代の景色を感じる神社。
黄幡神社の特徴
江戸時代の城下町の景色を楽しめた墓所に位置します。
無人の神社で、静かな雰囲気が漂う場所です。
地蔵寺の横の崖上にある隠れた名所です。
The kami gets the job done
原爆被爆建造物だそうです。
江戸時代には広島の城下町に入っていく入り船を眺められた墓所に鎮座します。神社の上には、仁保に広島湾の通航権をもたらした義人が祭られています。それによると浅野藩のに召し抱えられた漁師の大男が、参勤交替で江戸に行き、そこで行われた将軍の天覧相撲で活躍し、その褒美に広島湾の航海権を得たというのです。広島湾の航海権をめぐっては江波島と抗争があったようで、自らの正当性を主張するために生み出されたお話のようです。
コロナでさみしい。
地蔵寺の横の崖上に鎮座する無人の神社。階段を上がって神社からの眺めは良い。境内に地域の恩人という三代十郎兵衛を讃える碑がありました。
北大河町二三番地。俗稱地蔵山山腹の石段の数で四十五段の高みに、樹齢数百年と見られる双幹の楠の大樹(被爆樹木)がある。その横に、大河地域の氏神社である黄幡神社が鎮座まします。本殿の床下中央に御霊石が安置されている。元和三年(1617)大河住民によって勧請された。祭神は泉津道守神で道をお守りされる神である。相殿の祭神として道祖神である八衢彦神、八衢姫神、久那戸神の寒座三柱神と鉱山の神金山彦神が祀られている。往古、神社の山裾あたりまで海水が打ち寄せていた頃、この楠は、はるか宇品の沖からも望み見られた。日が落ちて海上帰りを急ぐ浦人を石灯篭の灯が導いたことであろう。地元では古くから「オンバンサン」の愛称で親しまれている。
場所が分かりにくいんだけど、だけど神様のおられます神社ですよ。
地蔵寺と同じ敷地にあります。神仏混淆の時代の名残でしょうか。住宅密集地にあり、道はかなり狭いので車では行かないほうがいいかも。駐車スペースはあります。
| 名前 |
黄幡神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
082-281-4538 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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1617年の創建です。当初は黄幡社と言われていました。黄幡神は、中国の軍神です。明治政府の神仏分離により、外国に由来する神を神社で祀ることが禁止されました。そのため、社名を和風にして、真幡神社と改めました。さらに、祭神を、黄幡神から、泉津道守神(ヨモツチモリノカミ)や、寒座三柱神(サヤリマスミハシラノカミ)などに改めました。今でも、鳥居の額には「黄幡神社」と刻まれています。