飛鳥山で渋沢栄一の歴史を学ぶ。
渋沢史料館の特徴
渋沢栄一の志を学ぶための貴重な資料館です。
旧渋沢邸宅跡地に建立されている史料館です。
明治から昭和初期の歴史を感じられる展示が魅力です。
渋沢史料館は、王子駅の南東400mほどの東京都北区西ケ原の飛鳥山公園の中にある博物館です。昭和6年(1931年)渋沢栄一が死去し、旧渋沢家飛鳥山邸(曖依村荘)の土地と建造物が遺言により財団法人竜門社に遺贈されました。昭和21年(1946年) 財団名を渋沢青淵記念財団竜門社に改称しました。昭和57年(1982年) 近代日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一の生涯と功績を後世に伝えるため、彼の旧邸宅「曖依村荘(あいいそんそう)」跡地に渋沢史料館が開館しました。平成10年(1998年)常設展示などを行うための新たな本館(日本館)が増築され新築開館しました。平成15年(2003年)財団名を渋沢栄一記念財団に改称しました。令和2年(2020年)には、展示内容や施設の一部がリニューアルオープンされました。1階に閲覧コーナーとミュージアムショップ、2階に常設展示室と企画展示室があります。渋沢栄一の「道徳経済合一説」の理念や、彼が生涯で関わった約500の企業の設立・育成、約600の社会公共事業に関する資料を収蔵・展示しています。彼の思想と行動を検証し、日本の近代化における役割を学ぶことができる重要な施設です。渋沢栄一は、天保11年(1840年)武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市血洗島)で百姓の渋沢市郎右衛門の長男として誕生しました。その後、江戸へ出て、一橋家家臣に取り立てられ、征夷大将軍となった徳川慶喜に従って幕臣となりました。フランスの首都パリで行われる万国博覧会(1867年)に将軍の名代として出席する慶喜の異母弟・清水家当主の徳川昭武の随員としてフランスへと渡航し、語学や諸外国事情を学び、先進的な産業・諸制度を見聞すると共に、近代社会のありように感銘を受けました。大政奉還に伴い、慶応4年(1868年)し、謹慎していた徳川慶喜と面会し「これからは、お前の道を行きなさい」との言葉を拝受するも旧恩に報いるため、駿府(静岡)に留まり静岡藩に出仕しました。1869年(明治2年)民部省に出仕し、直属の上司である大蔵大輔と井上馨の下で大蔵少輔、吉田清成らと共に造幣、戸籍、出納など様々な政策立案を行い、初代紙幣頭、次いで大蔵省三等官の大蔵少輔事務取扱となりました。井上馨と共に退官後は実業界に転じ、第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京商法会議所(現・東京商工会議所)、東京証券取引所といった多種多様な会社や経済団体の設立・経営に関わりました。そのうち企業は約500社にもおよび、「日本資本主義の父」と称されます。同時に東京養育院等の福祉事業、東京慈恵会等の医療事業、商法講習所(現:一橋大学)、大倉商業学校(現:東京経済大学)、高千穂高等商業学校(現:高千穂大学)等の実業教育、東京女学館などの女子教育、台湾協会学校(現:拓殖大学)の設立、二松學舍(現:二松学舎大学)第3代舎長就任等による私学教育支援や、理化学研究所設立等の研究事業支援、国際交流、民間外交の実践等にも尽力しました。また、『論語と算盤』の言葉に代表されるその道徳経済合一の思想でも広く知られています。慈善事業や民間の外交など幅広く活動し、2度ノーベル平和賞の候補に挙げられました。そんな日本経済に大きな影響をもたらした渋沢栄一は、昭和6年(1931年)に91歳という年齢でその人生に幕を引きました。
明治期の実業家として有名な渋沢栄一の史料館。1917(大正6)年竣工の洋風茶室・晩香廬と1925(大正14)年竣工の洋館・青淵文庫も、本館のチケットで入ることができます。史料館は渋沢栄一の生涯が年齢ごとに展示されています。慈善事業も含めてとても多くの足跡を残した方であるため、内容はコンパクトであるにも関わらず展示パネルが多いです。各展示コーナーの引き出しを開けると資料などが収められているのですが、誰もそこまで見ていないでしょう。他に、小さな企画展示室もあります。晩香廬と青淵文庫は余り大きな建物ではありませんが、大正時代の洋風建築を見ることができます。なお、晩香廬と青淵文庫の周辺が旧渋沢庭園とされていますが、整備された日本庭園というわけではありません。
渋沢史料館。渋沢栄一の史料館だけど本館はそれほど広くはない。ただ庭園と、晩香廬・青淵文庫も管理されてるみたい。
渋沢史料館は、近代日本経済社会の基礎を築いた渋沢栄一[1840(天保11)~1931(昭和6)年、号は「青淵」(せいえん)]の思想と行動を顕彰する財団法人である「渋沢青淵記念財団竜門社(現 公益財団法人 渋沢栄一記念財団)」の付属施設として、1982(昭和57)年、渋沢栄一の旧邸「曖依村荘」跡(現在東京都北区飛鳥山公園の一部)に設立された登録博物館です。当初の渋沢史料館は、旧邸内に残る大正期の2つの建物「晩香廬」と「青淵文庫」(いずれも国指定重要文化財)を施設として開館しました。その後1998(平成10)年3月に本館を増設しました。資料館でチケットを買うと上記3館の見学が出来ます。メトロ1日券の提示で260円の割引料金になりました。
1万円札に載っている渋沢さんの記念館です。300円ですが、他の資料館2つもセットで800円です。(この日はここしか寄れなかった)すぐ近くには、防災センター(博物館)で地震体験も出来るし、紙幣を作る工場(荷物チェックあり)もあるし紙幣の街かな?って思った。色々やりすぎて、1つずつの功績が終えなかった。実際に何をやったのか?もう多すぎてわからなかった。1つ前の諭吉さんは慶応大学!!ってイメージがありましたが、渋沢さんの功績見ると、「東京大学!」って出てきて「東大もかぁ」と思ってたら、早稲田!立教!青学!法政!日本女子大!ってあまりにも多すぎて「こんな1人で出来る訳ないやん!何したんやろ?」って疑問が残りました。1日が滅茶苦茶忙しかったのはわかりました。ちょっと、渋沢さんの本をオーディオブックで聞いてみようと思います。
NHK大河ドラマが終わり一時期の熱が冷めたのか、あまり人はいませんでした。展示を見ながらドラマの風景を思い出し、改めて一万円札になるほど偉大な人だったと感じました。こちらの入場券で、当時の渋沢邸(晩香盧ばんこうろ、青淵文庫せいええぶんこ)も見学できます。時間を忘れて大正ロマンに浸るのもいいですね。
北区西ヶ原。飛鳥山に居を構え、日本経済の礎を築いた渋沢栄一の偉業を称える博物館です。渋沢栄一がどのような人物であったかは今更書くまでもないかもしれません。彼は武蔵国の豪商の家に生まれ、尊王攘夷思想から転じて後の将軍・一橋慶喜に使え、維新後は明治政府の要人として税制改正や通貨改革に着手。その後、「官尊民卑」の打破を目指して官職を辞し、第一国立銀行の総監役となりました。以降、銀行・製紙・紡績・瓦斯・汽船・鉄道・ホテルなど実に500以上にのぼる企業の創立に携わった他、東京商法会議所・東京株式取引所を始めとする実業界の人々の交流と社会地位向上を目指した組織を作りました。この博物館では渋沢栄一の人生について、生まれた時から亡くなるまで、年齢ごとに区切られたブースで学ぶことが出来、渋沢栄一の生い立ちや人柄、考えを通じて彼が実現したかったことを知ることができます。渋沢栄一は常に公益を重視する人でした。それには武蔵国の豪商の家で生を受けたものの、身分制度の理不尽に辛酸を舐めた苦い経験があります。それが官尊民卑を打破し、特定の人たちだけではなく社会全体に貢献する公益を重視する理念へと繋がりました。また、前述の通り、渋沢栄一は一時尊王攘夷思想に染まりました。高崎城を襲撃して武器を奪い、外国人を攻撃する過激な計画まで立てていたのですが、それが頓挫すると、追われる身となり、その後、なんと一橋慶喜に仕える幕府側の人間へとあっさり転身しました。一橋家の家臣・平岡円四郎の口利きであったとのことですが、なんという変わり身の早さでしょうか。こういう思い切りの良さも、彼が旧弊をかなぐり捨て、新しい国をつくるために邁進することが出来た理由なのかと考えることも出来ました。また、渋沢栄一は実業家だけではなく、社会事業家としても活躍したことも知ることができます。日本赤十字社を始め、600もの病院、救貧院、研究機関の設立にも携わっています。例えば現在の井の頭公園には、かつて渋沢栄一が設立した井ノ頭学校という非行少年の更生施設がありました。彼が社会事業に尽力したのは、生涯にわたって守り続けた「道徳経済合一」という考えがあります。公益を追求する「道徳」と利益を追求する「経済」は常に両立しなければならないという考えがこのような社会事業に繋がりました。館内には渋沢栄一の音声を聞くことができるほか、エジソンから渋沢栄一に送られた書簡も見ることができます。とても貴重な資料ですね。館内は多くの人で賑わっていました。それだけ渋沢栄一への注目が高いことが伺えます。私はここで渋沢栄一の人生を知り、帰り際には映画や小説を数本以上見た(読んだ)くらいの気分になりました。
飛鳥山公園は王子駅南口から坂を登ったところにあります。登ると線路を走る新幹線の姿がよく見えて、かかやきとかはやぶさが通るとわくわくします。小さく都電荒川線などもみることができます。資料館は建物のワンフロアだけですが、渋沢栄一の年次を追って為したことが簡単に説明されています。それぞれの年度のボード前に資料の実物(一部複製)が置いてあり、写真が豊富です。ボードを簡略して書かれているので、ちょっと物足りないかもしれません。特別展として貴賓会についての展示があり、現代のインバウンド需要もあいまって興味深い展示です。
渋沢史料館2024/12/08訪問東京都北区西ヶ原の飛鳥山公園内にあります、「渋沢史料館」です。今や知らない人はいない、渋沢栄一の足跡を偲ぶことができる資料です。建物の入口前に大きな銅像が立っています。なかは、年ごとに本人の行った事象や功績などが手に取るように分かるような配置になっています。また、渋沢栄一本人の肉声がレコードで残されており、それも聞くことが出来ます。これはかなり貴重なものだと思います。新紙幣に採用されたこともあり、来館者は増えているとスタッフさんが話していました。飛鳥山公園内には、渋沢栄一ゆかりのばんこうろ、せいえん文庫、飛鳥山博物館、紙の博物館があり、お得な入場セット券もありました。
| 名前 |
渋沢史料館 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
03-3910-0005 |
| 営業時間 |
[木金土日火水] 10:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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この地に住んでいた渋沢栄一の資料館。住居跡は青淵文庫と晩香廬以外は無くなってしまっていますが、資料館のチケットでそれぞれ中まで入ることができます。チケットはJAF割引もあるのですが、3館共通券の割引とは併用できないとのことです。資料館は小さく、展示も年代順に説明があるだけのあっさりしたものであまり見ごたえはないですが、青淵文庫と晩香廬がセットなので仕方ないかなと思います。飛鳥山博物館なども合わせてみるとそれなりにいろいろ回った感があってよかったです。