気仙沼漁船の物語、海の記憶。
東日本大震災漂流漁船の特徴
東日本大震災の漁船が漂流し、喜界島に辿り着いた歴史を感じる場所です。
海岸沿いには多くのヤギがいて、ほのぼのとした雰囲気が楽しめます。
説明版を通じて震災の記憶を考えさせられる、心に残る体験ができます。
遠い東北の地から沈まずよくこの南の島に流れ着いたなと思うと、震災の記憶と同時に熱いものが込み上げて来ました。いつまでも遺して頂きたいと思います。
説明版が倒れてるので不法投棄の船にしか見えません。「2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分ごろに、マグニチュード(Mw)9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、多くの被害をもたらした。この船は、宮城県気仙沼市で津波に遭い、災害から1年あまりの月日が経った2012年5月に直線距離で約1600km離れたこの地に流れ着いた船である。私たちは、東日本大震災の教訓や災害の怖さを忘れることのないように、この船をモニュメントとした。」
東日本大震災の津波で流れ着いた宮城県気仙沼市の漁船です。東北に住んでいた頃に、宮城県の震災遺構を訪れ、説明で感じた津波の恐ろしさを思い出しました…喜界島は東北から約1,600km離れており震災があったことを実感しづらいのですが、ここにあるだけで災害の恐ろしさが分かります。船体に亀裂や欠損があり、風化が進んでいるかのように見れますが、流されてきた時のままなのでしょうか。島民も目に付かない所にあるので、震災の記憶を風化させないように、移設が必要だと思います。また、津波で被災し漂流してきた事が書かれている看板は、台風が接近直後であったせいか、飛ばされて外れていました。その他、駐車場はなく道路が狭いので運転には気をつける必要があります。当然トイレもありません。
素晴らしい大海原と入り江が綺麗な場所です。交通量が意外とある道路なので、車で行かれる方は駐車にご注意ください。
〈東日本大震災漂流漁船〉2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分(MW) - の東北地方太平洋沖地震办発生乚、多u003cの被害 。二の船d、宮城県気仙沼市 津波仁遭山1,災害 61年方去5の月日 经 九 012年5月仁 直線距離乙約1600km離机大二の地(流机着L九船 古石。私九专仗東日本大震災の教訓力災害の怖 充綠の募金交付事業 喜界町多 推進協議。
ここにたどり着くまでどう流れて来たのか考えると、単純に直線距離だけでは語れない距離を漂流してきたのでしょうね。
案内板を読んで考えさせられる物ですね、前の海岸は漂流物がいっぱいです。
長い距離を旅してきた漂流漁船。保存状態もおそらく漂着してからそのままなので、看板の説明文を読んで改めて感慨深い気持ちになりました。標識が少しわかりずらいです。たまたま走ってたら出くわした感じでした。
名前 |
東日本大震災漂流漁船 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0997-65-1111 |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

漂着船から堤防沿いに300m ぐらい いったところに🐐ヤギの惑星がありますよ海岸沿いに多くのヤギがいてますオーナーからヤギを捕まえたらあげるよと言われてます 頑張って捕まえてください東日本大震災漂着船気仙沼の漁船、喜界島に漂着 直線で1600キロ昔々、もう10年も前のこと、鹿児島県奄美群島の喜界島(きかいじま)で、「漂着している船がある」と奄美海上保安部(奄美市)に通報があった。登録番号から宮城県気仙沼市の男性(64)が所有する🚤漁船と判明。🛥️船は長さ5.16メートル、幅1.3メートルの繊維強化プラスチック製で、0.4トン。喜界から気仙沼は、🚣直線距離で約1600キロ離れている。