歴史が息づく掻懐の切支丹墓。
掻懐キリシタン墓の特徴
掻懐の切支丹墓は日本の歴史において重要な史跡です。
大友宗麟の時代には学校が建てられた地域です。
臼杵磨崖仏への訪問時に立ち寄ることができます。
敷地内の住民の関係者です。近くまで車で来られると大変狭くなっています。停める所もなく、戻ろうとして脱輪した方が何人もいらっしゃいます。勝手に民家の敷地内に駐車したりする方もいて困っています。駐車場は『掻懐老人憩いの家』の前にある広場に駐車して坂を戻り徒歩でいらしてください。駐車場までの道のりを写真で載せておくので参考にされてください。
実家なので大丈夫です。
駐車場ありません。神社の反対側にあります。
搔懐キリシタン墓(大分県指定史跡)概要:臼杵市搔懐地区に残るキリシタン墓。かまぼこ型と長方体の墓石にラテンクルス(十字架)が刻まれ、16世紀後半~17世紀初頭のキリシタン信仰を反映。歴史的意義:臼杵は宗麟が府内から移った拠点で、聖堂や修道院が建設されたキリシタン文化の中心。搔懐の墓は、禁教令(1614年)以前の信仰の痕跡。
臼杵磨崖仏に行った際に立ち寄りました。駐車場所を事前に調べて行きましたが、結局、わかりませんでしたので、少し離れた安全地帯に停めさせて頂き、歩きました。わかりにくい場所にあり、民家の入口のような場所にありました。昔から地域のかたが、大事に受け継いできたであろう想いに感動しました。
掻懐の切支丹墓(かきだきのきりしたんぼ)臼杵市は豊後キリシタンの中心地として知られており、大友宗麟の時代には学校まで建てられましたが、その後徳川幕府のキリシタン弾圧政策により廃絶しました。凝灰岩でつくられており第一のキリシタン墓はかまぼこ型の墓です。1600年前後に作成されたと推定されます。東西に横たわり、長さ1.31m、底面の幅0.575m、半月型をなす軸部の高さは正面0.51m、反対側の方は0.48mあります。半月型の周辺に沿って弧線を刻入し、中央に幅2.4cm、深さ0.6cmくらいの彫りで、ラテンクルスが刻まれています。その長さは横に18cm、縦に31cmあります。第二のキリシタン墓は、かまぼこ型ではなく長方体のものです。軸部の上尾から尾端までの長さはおよそ1.09mあります。軸部の下方に櫛型をなした厚さ30cmの造出があって、これを基壇としてラテンクルスが彫り込まれています。カーナビは、国道502号入り口の大分味岡生コンクリート(株)第三工場臼杵 大分県臼杵市掻懐2119−3がベターかと思います。この先は道が狭く駐車スペースがありません。左手の天満社の参道横に短時間停めるのが精一杯です。
日本の歴史の中でとても大切な場所の一つです。隠れキリシタンの墓石を見ることができます。
| 名前 |
掻懐キリシタン墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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人家の敷地内にあるのでびっくりです。車での訪問は、墓近くまで行かず、余裕のあるところに駐車し徒歩で行くことを勧めます。