豊後大友氏の歴史、山頂の舞。
筑後山下城跡の特徴
矢部川と白木川に面した標高105mの山頂に位置しています。
蒲池氏が大友氏支配下で力をつけた歴史を持つ城跡です。
幸若舞伝承の背景を持つ、みやま市瀬高町近隣の歴史的名所です。
蒲池氏が豊後大友氏支配下で力をつけ、巨大化を恐れた大友氏が、上蒲池・下蒲池に分割させ、上蒲池氏を山下城主、下蒲池氏を柳川城主とした。秀吉の九州平定後、肥前国田代から筑紫廣門(この時点では筑紫氏はいったん失地していた)が城主となり、支城として古福島城を築くも、関ヶ原合戦で西軍に加担した筑紫氏は改易となる。
みやま市瀬高町大江の幸若舞伝承の城。
名前 |
筑後山下城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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矢部川と支流の白木川に面した標高105mの山頂にあります。個人の所有地のみかん山にありますので迷惑のからないようしましょう。蒲池親広が永正年間(1504~1521)に居館を構え、その後蒲池鑑広が築城したといわれます。蒲池氏は大友氏に属していましたが、1579年に龍造寺隆信に攻められ、その勢力下に降ります。その後大友氏の侵功にあい降伏し、その後島津軍の北進に伴い島津軍に付きますが、1587年豊臣秀吉の九州征伐で破れ、当城は筑紫広門のものとなります。1601年に田中吉政が筑後に移封され当城は廃城されます。