歴史を感じる花岡島津氏のお墓。
花岡島津家菩提寺(円覚山法界寺真如院跡)の特徴
歴史的な背景をもつ花岡島津氏の墓地です。
初代久儔から9代久基までの貴重な霊廟があります。
薩藩の外城としての役割を果たした重要な場所です。
🍀花岡島津氏歴代墓地で薩藩の外城として役割を果たす🍀
この辺りを領地とした島津家の一族の墓地です。史跡指定され大きな看板が立っていますが、駐車場もなく(隣の電気施設の入口に停めましたが)、柵も閉まっています(横から入れますが)ので、まだ見学できる感じではないようです。
この墓地は、花岡島津家の初代「久儔(ひさよし)」から9代「久基(ひさとも)」にいたるまでの墓です。島津家22代の継豊(つぐとよ)公が1724年(享保9)、叔父の久儔(ひさよし)に大姶良郷木谷村(おおあいらごうきたにむら)と野里村(のざとむら)の一部を一郷(いちごう:当時村をいくつか集めた集落のこと)としてあたえ、花岡と改名しました。「久儔(ひさよし)」から7代「久敬(ひさたか)」にいたるまでの145年間、薩摩藩の外城(とじょう:当時の薩摩藩の行政区画のよび方)としての役割を果たしました。特に、2代「久尚(ひさなお)」の妻、岩子夫人は私財を投じ、花岡用水路をつくったことで有名です。国道220号線を垂水方向に向かい、鹿屋体育大学前から鶴羽小学校にいたる途中、古江バイパス沿いにあります。駐車場はありません。
名前 |
花岡島津家菩提寺(円覚山法界寺真如院跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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以前良く通っていた道ですが、こんな所に歴史上の方々のお墓があったとは知りませんでした。通りがかりに大きな看板が見えたので、隣の電力会社?閉まってましたが入口前に少しスペースがあるので、1〜2分停め、看板前に行きましたが、チェーンがありましたので、外から眺めさせて頂きました。チェーンは緩やかで入れなくはないでしょうが、管理してる方もわからないので、今回は眺めさせて頂き歴史を感じてあとにしました(*´ω`*)