建昌城跡で歴史の重みを感じる。
建昌城址の特徴
歴史の重みを感じる武家地の丘です。
桜島SAから見上げる絶景の城跡です。
戦国時代の歴史が息づく場所です。
もう少し案内板が欲しい。間違えて農園の方に行く。建昌城跡と看板があるから。
ここからの眺めはとってもいいんです。姶良市街地が一望できるし、散策にもちょうどいい🤗。
蒲生城から歩きました。城跡は農園の横に残っています。ただ、このあたりに特有なシラス台地の切立った堀切などは見られませんでした。
歴史にifがあるならば、ここが薩摩藩の中心になっていたかも、今ある鹿児島県もここが県庁所在地だったかもしれない、そんな歴史のターニングポイントにあった城郭です。駐車場やトイレも整備され訪城されやすくなったのでしょうが、如何せん広大過ぎるせいか、草が繁茂してなかなか容易くは中に入らせてくれません。冬が狙い目かもしれません。
桜島サービスエリアから見上げられる山城だよ。
🍀戦国時代の城跡で、人現在は市民農園に🍀
桜島SAからすぐ見上げられる山上にあります。入口はSAから丁度山の反対側の県道446号線沿いで、NTT DOCOMOの電波塔が目印になると思います。遺構は空堀、曲輪、土塁などで、特に空堀は各曲輪を区画すると同時に曲輪間の連絡通路になっています。以前より雑草が伸び放題といった感じになっていて、堀底道に降りるのに少し躊躇してしまいました。入口に近い西之丸、櫓之丸、南之丸の3つの曲輪は鹿児島県指定史跡の指定範囲からはずれていて、特に西之丸は市営の貸し農園になっています。この城は享徳年間(1452~1455)以降に築城され、わりと早い時期に廃城になっていたらしいという事です。江戸時代初期には薩摩藩の本城にしようとする計画もあったものの幕府の許可はおりなかったそうです。(島津義弘の反対で実現しなかったという説もあります。)ただもしここが本城になっていたら藩の名称も大隅藩(あるいは姶良藩、又は帖佐藩?)になっていたのかなと少し複雑な気分でした。
歴史の重みを降りかえらる場所です。
建昌城跡 空堀凄い!!
名前 |
建昌城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://aira-digitalmuseum.jp/?properties-db=%E5%BB%BA%E6%98%8C%E5%9F%8E%E8%B7%A1 |
評価 |
3.3 |
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城というより、武家地を丘の上に作ったみたい。曲輪ひとつひとつが広大でまるで分譲工業団地。東北地方といい、列島の端はなぜ広大な曲輪になるのか。守るのが大変だろう。