徳島城の弓櫓跡で歴史を感じる。
徳島城 弓櫓跡の特徴
本丸よりも少し高い山頂に位置し、景色が素晴らしいです。
史跡の魅力を感じるためには、訪問する価値があります。
歴史に深く根ざした場所で、静かな時間を楽しめました。
石碑が立っていましたが、かつてはこれほど木々が生い茂っていなかったのでしょうか。
本丸西側に位置する弓櫓跡。弓櫓の櫓台は大きく初期の天守はここに建てられていたとの説もある。
徳島城の弓櫓跡は、徳島県徳島市に位置する歴史的な遺構です。徳島城は1585年に蜂須賀家政によって築かれ、江戸時代を通じて蜂須賀氏の居城として栄えました。弓櫓は、城の防御施設の一部であり、弓矢を用いて敵を迎撃するための重要な役割を果たしていました。現在、弓櫓跡は城跡公園として整備され、訪れる人々に歴史の一端を感じさせる場所となっています。周囲には美しい庭園や博物館もあり、観光客にとっても魅力的なスポットです。徳島城の歴史を学びながら、自然の中でゆったりとした時間を過ごすことができるでしょう。
☆広い本丸跡の一番西側に立派な櫓跡👀御三階櫓=弓櫓=天守代用、西二の丸~西三の丸を見下ろし監視防御、更に西に広がる平野部に三重三層の威容を誇示⚔️緑色片岩の櫓台は戦国期の荒々しく野面積乱積は必見、特に隅部の未完成な算木積は魅力的迫力あり、四方の天端石も中々立派😲大坂豊臣滅亡後、元和年間(1615年)以降に本丸から東二の丸に天守代用=御三階櫓は移動、東に広がる城下町全体から望めるように😄
本丸より少し高いところにあり、山頂になります。午砲(正午の時報で撃つ大砲の略)跡のコンクリートで出来た土台も残っています。
2021/10/3来訪。徳島城内で最大の櫓台。西の大手筋の最奥に位置しており、初期の天守が置かれていたとも考えられているそうです。
| 名前 |
徳島城 弓櫓跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www.city.tokushima.tokushima.jp/shisetsu/park/chuo.html |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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徳島城跡の本丸西端に残る大きな石垣が、「弓櫓跡」です。徳島城にあった数多くの櫓の中でも最大の櫓台とされ、西側から本丸へ向かう「大手筋」の最奥に位置していました。西二の丸から本丸へ上る石段の脇に設けられており、ここまで攻め込んできた敵を本丸直前で食い止める、重要な防御拠点だったことが分かります。「弓櫓」という名前から、弓矢による迎撃に関わる櫓だったと考えられますが、この巨大な櫓台にはもう一つ興味深い説があります。徳島城では、後に東二の丸に御三階櫓が建てられ、事実上の天守として機能しました。しかし、一般的には天守は本丸の最も重要な場所に置かれることが多く、徳島城でも築城当初の本丸に天守があったと考えるのが自然です。そのため、城内最大級の規模を持つこの櫓台こそ、築城初期の天守が置かれていた跡ではないかとも考えられています。徳島市の公式ガイドでも、弓櫓跡には初期の天守が置かれていたとも考えられると紹介されています。現在残るのは、阿波青石(緑色片岩)で築かれた大規模な櫓台の石垣です。特に注目したいのが、西二の丸から本丸へ続く石段との位置関係です。石段を上ってくる敵に対して、櫓から側面を狙えるような位置にあり、本丸へ至る最後の登城ルートを守る構えになっていました。巨大な石垣を間近に見ると、この場所が単なる見張り台ではなく、本丸を守るための重要な拠点だったことが実感できます。西三の丸から西二の丸、そして本丸の弓櫓へ――。徳島城の西側では、曲輪を段階的に配置し、奥へ進むほど防御を強める縄張りがつくられていました。その最奥に位置する弓櫓は、西側から本丸を目指す敵にとって最後に立ちはだかる防御拠点ともいえる場所です。櫓そのものは失われていますが、城内最大の櫓台と周囲の縄張りをたどることで、徳島城が地形と石垣、そして櫓を巧みに組み合わせて本丸を守っていたことが見えてきます。