足利義昭の秘宝、鞆の浦の伝説。
常国寺本堂裏山山頂にある室町幕府第15代将軍足利義昭の供養塔です織田信長に追放された後毛利氏を頼り、常国寺や鞆の浦に居住していたそうです登山口に石柱があり徒歩数分で山頂に到着します五輪塔、石燈籠、宝篋印塔の一部である相輪部分のみがあります義昭の供養塔は宝篋印塔で元は一基の宝篋印塔が建っていたのですが、大東亜戦争中に後醍醐天皇に反逆した足利尊氏の子孫であるとの理由から悪戯により谷底に落とされ破壊されたそうですこの山の何処かに義昭の供養塔の一部がまだ残っていると思います。
名前 |
足利義昭公供養塔(将軍塚) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
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まさか、鞆の浦にこんなお寺と、室町幕府最後の将軍がお住まいになっていたとは・・・。福山市、瀬戸内海、いや~奥が深い!ここには歴史の授業では教わることのできない本当の日本史が待っていました。AIで紹介していただくと以下のように表示されてます。## 鞆の浦常国寺の足利義昭公供養塔について鞆の浦常国寺の足利義昭公供養塔は、室町幕府最後の将軍である足利義昭を供養するために建てられた宝篋印塔です。**歴史**足利義昭は、織田信長の支援を受け、1568年に室町幕府15代将軍となりました。しかし、信長との対立により、1573年に京都を追放され、鞆の浦に逃れました。義昭は鞆の浦で10年間過ごし、1582年に病死しました。常国寺は、義昭が鞆の浦に滞在中に庇護した寺院です。義昭の死後、常国寺に葬られ、その供養のために宝篋印塔が建てられました。**宝篋印塔**宝篋印塔は、四角形の基壇の上に、五重の塔身と相輪が乗った石塔です。常国寺の宝篋印塔は、高さ約2.5メートルで、花崗岩製です。塔身には、梵字や蓮華などの彫刻が施されています。**所在地**広島県福山市鞆町後地1-1-1**アクセス*** JR福山駅から鞆鉄バスで約40分、「常国寺」バス停下車*鞆港から徒歩約15分**その他**常国寺は、足利義昭に関する資料を展示する「義昭公遺芳館」を併設しています。**参考資料*** 鞆の浦観光協会 - 常国寺: [無効な URL を削除しました]* 福山市ホームページ - 常国寺唐門: [https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/280703.html](https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/280703.html)* Wikipedia - 足利義昭: [無効な URL を削除しました]