談山神社の摩尼輪塔、珍しい歴史に触れて。
摩尼輪塔の特徴
字の女王太陽の塔の先祖としての価値があります。
鎌倉時代に由来する珍しい石造物です。
谷川大師の談山神社参道に位置しています。
スポンサードリンク
刻銘より摩尼輪塔と呼ばれているそうです。乾元2年(1303)建立だそうです。
まにりんとう。
談山神社参道途上にあります。円形盤に梵字が刻まれています。重要文化財。
珍しい石造物です。
名前 |
摩尼輪塔 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
スポンサードリンク
周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
字の女王「太陽の塔」の先祖鎌倉時代にも<太陽の塔\u003eがあった。太陽の塔は、なにも万博のあった公園にのこっているだけではない。七百年まえの太陽の塔は、大和は多武峰への参道に、いまもしゃんとした姿で立っている。その表情はモダンで明るく、見ていて気分の晴れる石の塔だ。多武峰には、藤原鎌足を祭った談山神社があって、春は青葉に、秋は紅葉に、人が集まる。なんでも、この峰で、鎌足が中大兄皇子と蘇我氏討伐を誤り合ったという。土地の人は密談の山を談り山と呼び、いつとはなく寺がたち、やがて神社になったそうだ。ふもとの桜井から、お詣りする人がふえるにつれ、一町(約百※)ごとに町石がたてられた。その町石のアンカーが、特別デザインの太陽の塔で、正しくは摩尼輪塔|重要文化財の肩書さえもっている。昭和の太陽の塔よりも上だ。それもそのはず、この太陽の顔には、大日如来を象徴する機学のアークという記号を彫って明るい。スマートで歯切れがよく、太い八角の柱に円盤を浮かばせてしゃれている。彫りは、リズミカルで美しい。世にいう薬研彫りで、底をV字形にさらえながら、鎌倉のころの美学を静かに沈めているのである。文字のまわりには柔らかい肉のもりあがるような感触をただよわせ、この円盤のモダンアートは、まさしく鎌倉の女王の風姿をただよわせて暖かい。柱には乾元二年(一三〇三)とあるから、後宇多の院政のころのもの。七百年の歳月がこの路傍で流れたことになる。かつて人々は、桜井の町はずれから一町ごとに町石を拝み「やれやれ」とさいごの太陽の塔に、頭をさげて石を拝んだ。いまは、猛スピードの車が、音と煙をこの摩尼輪塔にふっかけて、勾配のきつい坂道を駆けのぼっている。塔は「ご時世よ」とわびしげに笑っている。榊 莫山 路傍の書 より。