五右衛門風呂と旧家の魅力。
旧丸毛家住宅の特徴
春と秋には泊まる体験ができる貴重な場所です。
大変素晴らしい旧家のたたずまいが魅力的です。
狭い道路の突き当りに広い駐車場が完備されています。
大変素晴らしいところです、市の所有で、春、秋は泊まる体験もできます、五右衛門風呂もあります。夜は町に出て呑みに行ってください、素敵なところ沢山あります。
大きな通りから狭い道路の突き当りにかなり広い駐車場があります、舗装・区画整備などはされておりません。江戸時代後期の建築様式をとどめる、市内でも数少ない上級武士の屋敷で、この丸毛家住宅の敷地は、江戸時代に藩より屋敷地として代々丸毛家に与えられたものです。邸内は来客用の「表」と家族が生活する「奥」に分けられており、「表」は、西に面した竹林が臨め眺めが良く落ち着いた静かな場所に造られています。「奥」の部屋に隣接する縁側では、枯山水ではありませんがレーキで砂紋が引かれた広い庭を見ながら、ゆったりとした時間を過ごすことができます。丸毛氏はもともと美濃国(今の岐阜県)の武士で、明智光秀の家臣であった斎藤氏の一族でした。そのため、光秀が羽柴(豊臣)秀吉によって滅ぼされた天正十年(1582)の山崎の合戦では、明智方に味方し敗れたため、長く流浪していたと丸毛家家系図に記されています。寛永五年(1628)、丸毛弥市右衛門忠勝の代に、忠勝の外祖母が稲葉一鉄公(臼杵藩初代稲葉貞通の父)の娘であったため、その縁で三代藩主一通公に元高二百石で召し抱えられ、町奉行役を務める臼杵藩では上級の武家でした。海添は、城に近い場所は中級武士の屋敷地、海添川に架かる竹尾橋一帯では足軽や鉄砲組の下級武士の屋敷地として形成されていたようで、南には口屋番所(農村から城下への検問所)が置かれ、城下町への交通の要所でもありました。丸毛家住宅は、武家の生活様相や文化を理解してもらう公開施設として、また町並み観光の一拠点として活用するため、平成元年に建物の解体修理が行われ、平成二年三月十六日に、市の有形文化財として指定されています。そして平成十五年、さらに「昔のくらし」を体験できる施設として、うまれかわりました。(2019年5月30日)
名前 |
旧丸毛家住宅 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0972-63-1111 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.3 |
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旧家のたたずまいがそのままに。庭の竹に風が通り気持ちの良い時間でした。