西大寺東塔跡で感じる歴史の風。
東塔之趾の特徴
奈良時代末期に創建された四角五重塔跡が見どころです。
非常に立派な基壇が残り、歴史を感じられる場所です。
戦火で焼失した東塔の名残が今も息づく静かなスポットです。
西大寺では当初東西に八角七重の大塔の建立を企図して八角の基壇が造られたそうです。しかし、四角の基壇に改められ高さ十五丈(約45m)の五重塔が東西に建立されたそうです。しかし、東塔は文亀二年(1502)の兵火により焼失。現在の東塔の四角い基壇は創建当時のもので、その周囲の八角の敷石は最初に造られた八角基壇の跡だそうです。
東塔の基壇跡です。かつては東西にあったみたいですが、現在は東塔の基壇だけ残ってます。
東塔の基壇跡です。かつては東西にあったみたいですが、現在は東塔の基壇だけ残ってます。
西大寺の東塔の跡です。こちらには塔の基壇が残っていますが、説明によればこれは創建当時のものだそうです。少し離れた場所に西塔の跡もありますが、あちらには何も残っていません。それにしてもこの西大寺は本来は東塔と西塔が並び立つ薬師寺様式の伽藍配置だったのですね。更に説明によると当初は八角七重の塔が計画されていたようですが、財政難により四角五重の十五丈(約46m)の塔に変更されたそうです。かつて京都の法勝寺に八角の塔があったと言うのは聞いたことがありますが、八角の塔というのは現在の日本に残っているのでしょうか?もし西大寺に八角七重の塔の確実な史料が残っているのであれば、発掘調査の成果も踏まえてCGでよいので再現してほしいと思います。
塔部分は室町時代に戦火で焼失した、跡地ですが、西大寺て1番気に入ってます。
令和二年 7月23日 京都初夏の旅西大寺 東塔跡今はその名残だけが残る場所です❗️
西大寺にあった東西二塔のうち、本堂南側にある東塔基壇の跡。当初東西両塔は、八角七重塔として計画されたが、奈良末期の財政難で四角五重塔に縮小されて造営されたとの伝承がある。その塔も928年の落雷で一度、焼失し、平安末期に修造された。鎌倉期には塔供養が行われた記録があり、叡尊は東塔を中心とする宝塔院を西大寺復興伽藍の中核とした。しかし、1502年に焼失し、その後は基壇のみが残され、復興されていない。1956年の発掘調査で基壇周辺に八角の掘込跡が見つかり、八角塔の伝承が裏付けられた。現在は、周囲に八角の葺石で囲われている。もちろん、基壇跡には立ち入りできない。21/06/27に訪ねた時、蓮の一鉢が置かれており、西大寺の重要な建造物であることが分かった。前に立ってみていると、父である聖武天皇を超えようとする孝謙上皇の意気込みが感じられてきた。
西大寺でもっとも惹かれるのが東塔之跡。基壇のそばに立てば、いつも称徳天皇を思う。突如タイムスリップし、若き日の孝謙が佇んでいるのを見る.......。
非常にゆっくりした面立ちでした。ありがとう御座いました!
| 名前 |
東塔之趾 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0742-45-4700 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 8:30~16:30 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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西大寺東塔跡 – 八角塔の歴史と小さな蓮の季節に。西大寺にはかつて東塔と西塔が建っていました。今は東塔の跡だけが残り、本堂前の基壇と礎石が、往時の姿を静かに伝えています。創建当初は八角七重塔として設計されたそうですが、財政の事情で四角五重塔に縮小されました。延長6年(928)の雷火で焼失し、平安末期に修造された東塔も、1502年の火災で消えてしまいます。昭和31年の発掘調査で八角の基礎が確認され、当初の八角塔の伝承が裏付けられています。春から夏にかけて、東塔跡の周囲には約100鉢の鉢植えの蓮が並びます。池に浮かぶ大輪とは違い、ひっそりとした小さな花たちですが、立ち止まって眺めると、なんだか心をくすぐる。唐招提寺や薬師寺、喜光寺の蓮と合わせて、西ノ京ロータスロードを彩る季節の光景。静かに咲く花々の前で、少しだけ時間が止まったような気分に浸れます。