由緒ある地蔵に立ち寄りを。
沖向地蔵尊の特徴
地蔵尊は、大正10年の移転によって葭原墓地から独立した貴重な存在です。
かつての遊郭街が広がっていた葭原通沿いにあり歴史を感じられます。
この地区に残る数少ない遺構の一つで、大阪七墓の一つとして評価されています。
興味深い地蔵尊です。大坂七墓のひとつ葭原(よしわら)墓地にあった西の坊というお寺に祀られていた地蔵尊で、当時は正面(西方)に海を見渡すことができたことが名前の由来とか。墓地を守る位置、かつ陸地と海という辺縁の立地ということで、境界の守護者というお地蔵さまの特徴を端的に現しておられる。また地蔵尊の両脇を固める二体の烏帽子を冠った像はAIによると「司命(しめい)」と「司録(しろく)」であろうとのこと。いずれも閻魔王の配下で、司命は人の生前の行い・寿命を記す役、司録は死後の罪福を記録する役を担うとされる存在であり、日本では地蔵信仰・閻魔信仰とセットで祀られることが多いとのことであり、閻魔大王の本地が地蔵尊であるということが非常によく現されたお地蔵さまではないかと思います。この土地の歴史と日本の地蔵信仰を今に伝える史跡ですね。
由緒有る地蔵。
このお地蔵さんから南側の天五までが葭原通でかつての遊郭街。北側は葭原墓地跡です。今昔館や𝙁𝙍𝙀𝙀𝘿𝙊𝙈辺りまでが墓地の範囲でした。
葭原通りにある旧葭原墓地の数少ない遺構。
もともとこの地にあった大阪七墓の一つ、葭原(よしわら)墓地のお寺にまつられていた地蔵尊ですが、大正10年の移転により墓地はなくなり、地蔵尊だけが残っています。葭原墓地の名前のとおり、古代このあたりから西側には、葦(あし・よし)の生い茂る低湿地が広がり、地蔵尊が顔を向ける西側に海を見渡すことができたことから、沖向地蔵尊と呼ばれるようになったと伝えられています。今でもお堂は綺麗に手入れされていて、近所の方の信仰を集めていることがわかる地蔵尊でした。
| 名前 |
沖向地蔵尊 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
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いつも素通りしていましたがふと気になり立ち寄りました。