黒田官兵衛の遺構、歴史の息吹。
官兵衛普請の石垣の特徴
黒田官兵衛が普請した歴史的な石垣です。
典型的な野面積みの技法が見られます。
官兵衛普請の石垣をぜひ訪れてみてください。
戦国時代の名軍師として黒田官兵衛、竹中半兵衛、そして山本勘助(武田信玄の軍師)などが挙げられます。中でも黒田官兵衛と竹中半兵衛は「両兵衛」とも称され秀吉の名軍師として名高い人物です。黒田家は近江源氏の末裔で、のち播磨国姫路へ移り住み秀吉の家臣になったと伝えられます(諸説あります)。官兵衛は1587年(天正15年)に豊前国中津城主となり、その後黒田家は明治維新まで外様大名として命脈を保ちました。なお竹中半兵衛についてはまた別項で。姫路城の石垣は年代別に羽柴時代(1580年頃)、池田輝政時代(1600年頃)、そして本多忠政時代(1620年頃)の3期に区分されます。この官兵衛普請の石垣は「野面積」と呼ばれる古い技法が用いられており、池田・本多時代の石垣とは一線を画した原始的なモノです。ちなみに秀吉は黒田官兵衛を重用しており、また彼が地元の豪族出身で土地勘があったことから彼に石垣建設を命じたと伝えられます。ところで全国には有名人の名を冠したモノが多く残されています。信玄堤、道頓堀、太閤堤などです。水絡みが多いのは、当時の水利がいかに重要だったかの証と思われます。そして昨今はリバプール・ジョン・レノン空港、鳥取砂丘コナン空港、米子鬼太郎空港など。これは近年の空港の重要性を示すものでしょう。…………さて次は?2026.1.6
2025年9月3日 参城壮大な石垣群!見事なり!
安土城と同時期の石垣2024年8月中旬、姫路探訪の際に行きました。安土城は大きなお城で石垣も多く存在しますが、場所によって築いた時期が異なり、時代によって工法が進化しています。工法は大きく5期に分かれており、こちらは第1期、天正年間(1573〜1579年)の石垣にあたり、特徴的なのは石垣は野面積みという、自然石をほとんど加工せず、パズルみたいに組み合わせて積む工法大量の石から妥協することなくパズルのように積み上げ今もなお石垣の機能を果たしているなんて先人の凄さに感動しました。
姫路城散策中です♪官兵衛の石垣も見応えがあります。オススメです♪
石垣の説明がしっかりしてあって親切。
三の丸入口前のフォトスポット奥からすぐです。黒田官兵衛普請の石垣、美しいと言われる形状「扇の勾配」が見られます。いったい、どうやって作っているのでしょうか?ちょっと穴場っぽく見落としてしまいそうなので是非忘れずに、、、ここを真っ直ぐ行くと美術館まで数分でした。
☆姫路城来城の目的地の一つ🚶上山里曲輪・下山里曲輪の南辺に武骨で粗々しい上下二段の特殊な石垣、1580年(天正8年)「羽柴秀吉」入城当時の石垣遺構、比較的小型で不揃いの石の間に間詰石をきめ細かく収めた「野面積」、まだまだ高石垣を構築する技術に乏しく算木積も未完成、天正期の石垣積みの特徴、角が鈍角の「鎬積(しのぎ積み)」も見受けられます👀派手さはないですが、後の天下人「羽柴筑前守秀吉」と名軍師「黒田官兵衛孝高」の二人が普請した約440数年前の凄く貴重な城郭遺構、良い仕事してます😁
黒田官兵衛が普請した石垣。
名前の通り。石垣前に説明書きが或る。それによると野面積みと謂う手法らしい。
| 名前 |
官兵衛普請の石垣 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
079-285-1146 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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黒田官兵衛が築城に関わった可能性がある時代の石垣。いわゆる羽柴秀吉時代の石垣が上山里曲輪下段に残っている。羽柴秀吉は毛利攻めの際に黒田官兵衛の姫路城を拠点とし、大幅に改修している。その際に黒田官兵衛に宛てた書状で官兵衛に築城の協力を命じているという。この石垣は石の大きさや並びが揃っていない古い野面積みで築かれている。