明治の貴重な遺構、戦争の跡地。
走水低砲台跡の特徴
近くの駐車場から観音崎を散歩して到着できる立地です。
イギリス、オランダ、フランスの三種のレンガの積み方が見学可能です。
明治時代のキャノン砲が配備されており、貴重な戦争遺構が残っています。
旗山崎公園の奥にあるようですが、砲台跡は柵がしてあって入れませんでした。平日だったのでかな?きれいなトイレがありました。
「ヤマトタケルの伝説の地でもあり明治時代の貴重な遺構がある場所。」この地の歴史は古く西暦110年にヤマトタケルが東征の際に御旗を立て御所を構えたという伝説がありこの岬がある場所は「御所ヶ崎」と呼ばれてます。江戸時代末期には異国船打ち払いの為にこの地に初めて大砲が備えられ「旗山台場」と名付けられました。明治維新後の1886年に外国の技術を取り入れた沿岸砲台が完成これが走水低砲台でした。(他に高砲台が今の防大あたりに造られ後の1924年にはホテルがある場所に新砲台が造られています。)配備されていたのは27cm加農砲と呼ばれる大砲(詳細不明で写真もネットにありません、謎の兵器です。)で計4門が配備されていました、大砲は後に何度か新型に更新されるが1923年の関東大震災で砲台が被害を受けるも復旧、1934年には馬堀にあった横須賀陸軍重砲兵学校の訓練用の大砲が新たに配備され終戦まで運用されていました。2016年より「日本遺産」に指定され一般公開も行われるようになりました。残っている施設は4か所の砲台跡や大砲の弾や火薬を保管していた弾薬庫や兵士らが寝泊まりしていた兵舎などが残っています。明治時代に造られたものなのでレンガ造りになっておりその積み方は猿島要塞などでよく見られる「フランドル積み」というものになっています。土日祝日は一般開放されており、平日はガイド同行でのみ見学可能、周辺には無料の駐車場等はなし、公衆トイレあり。
横浜のみなとみらいやベイブリッジを背景に行き交う大小の船たちがよく見えます。中に入れる元弾薬庫もあります。
保存状態が良いです。土日は出入り自由ですが、平日はガイドが必要です。ガイドなしでは入れないところもあるので、しっかり見たい方は平日がおすすめです。(2026/4/29)
同じ走水にあった高砲台に比べて低いという意味なので、海面ギリギリって訳ではありません。千代ヶ崎、観音崎、猿島等の東京湾要塞を見て廻っています。それらに比べたら小振りなのだと予想していましたが、とても立派でした。四門の砲台台座に弾薬庫、兵舎があります。砲弾を弾薬庫から砲台に上げる楊弾井は猿島のは円筒でしたが、こちらは方形です。通路の煉瓦には〇に算木の刻印がはっきりと確認出来たのですが、この刻印は複数の会社が使っていたようで、製造元の特定が出来ていない刻印でした。
走水(低)砲台ということで、かつては背後の高台にあった走水(高)砲台とセットで東京湾に睨みを利かせていました。ところで「見晴らしの良い高台にも砲台があるなら、あえて攻撃されやすい低地にまで砲台を造らなくてもいいんじゃないの?」と疑問を持つ方もいるかもしれません。これには理由があります。これは戦艦のプラモデルを作った人なら分かるでしょうが、日本戦艦には指揮所が必ず二つあります。一つは最高所にある昼間艦橋で、もう一つは海面に近いところにある夜間艦橋です。もちろん、高い場所の方が遠くまで見えるのですが、夜間は海の暗闇に紛れて船影が全く分からなくなってしまうそうです。しかし低い位置から見ると、明るい夜空に船影がシルエットとなって浮かび上がり、見やすくなるのだとか。まだレーダーが実用化されていない時代の産物ですね。低地に砲台が据えられた理由がもう一つあって、ここだけ大砲の種類が特殊であったという事です。基本的に東京湾内の各所に設置された海防要塞の主兵装は、日露戦争でも大活躍した28センチ榴弾砲でした(写真参照)。太短い砲身をほとんど真上に向けて発砲し、砲弾は弓なりの弾道を描いて、敵から見れば砲弾は上から降ってきます。これは戦艦の装甲は舷側よりも上面が薄い(戦艦大和の場合、舷側410mm・水平装甲230mm)ことを利用したものです。しかし走水(低)要塞には例外的に、27センチカノン砲が設置されていました。これは28センチ榴弾砲とは全く性格が異なる砲です。長砲身・高初速が特徴で、弾は曲線を描かず、まっすぐライナーで目標へと飛んでいきます。というのも28センチ榴弾砲は強力でしたが、欠点も多い砲だったからです。まず低初速のため砲弾の滞空時間がとても長く、風の影響を受けやすいのが問題でした。そして高速で機動する敵艦に弾が到達する頃には、数百m先の別の場所に移動している事もしばしばだったのです。敵の未来位置を予測して当てるのは容易なことではありません。なによりも射程が短く、せいぜい8km程度です。また榴弾砲とカノン砲では射撃の手順も違っていました。榴弾砲は「間接照準」という方法で、着弾点は砲台近くの高台にある射撃指揮所が弾道計算をして、砲台側は指示に従って方位や仰角を合わせるだけで照準には関与しません。砲から敵が見える必要はないので、攻撃に耐えられるように「すり鉢状」に掘り窪めた底に砲座を置きます。(千代ヶ崎砲台など)一方、カノン砲は「直接照準」方式で砲の照準器で直接「敵艦」を捉えて撃ちまくり、着弾修正を加えつつ命中へと導く方法です。高初速なので敵が動いていても弾道補正があまり必要無く、比較的良く当たりました。だから戦艦は舷側装甲の方が厚い訳ですね(笑)。よく出来ています。夜間でも直接に敵艦を視認しなければ射撃出来ないので、低い位置に造る必要があったのです。砲の性格上、砲座の構造も28センチ榴弾砲と27センチカノン砲では異なっています。近くにある28センチ榴弾砲を兵装とした千代ヶ崎砲台と比べてみましょう。まず大砲の固定の仕方が違います。28センチ榴弾砲は上に向けて発砲するので、反動は下向きにかかります。なので基本的に地面に置いてあるだけです。(ズレない程度の固定はされてます。)一方でカノン砲は水平方向に反動がくるので、置いただけではひっくり返ってしまいます。そのためゴツいボルトでがっちり地面に固定されていました。その跡が今でも残り、これは千代ヶ崎砲台には無いものです。また直接照準する必要性から、周りは開け砲台から海がよく見えるのも特徴です。これは高い土壁で囲まれ、全く景色が見えない千代ヶ崎砲台とは対照的です。と言うわけで、ここに来たら千代ヶ崎砲台もセットで訪問する事をぜひお勧めします。同じ砲台でもいろいろな違いがある事に気づくと思います。
2025/1東京からさほど遠くないところにこんなに戦争の跡がはっきりと残っている場所があるのかと驚きました。訪問したのは土曜日だったので普通に見学できましたが平日はガイド同行でないと見学できないと入口に案内がありました。敷地内は砲台跡だけでなく弾薬などを置いていたであろう古びたレンガ作りの倉庫などもあり中にも入れ見どころ満載です。この日は晴れていて砲台がある高台から眼下の海が南国のリゾートにいるのではと錯覚させるほどの白い砂と青い海でした。
関東大震災の影響と砲火の進化で昭和9年に除籍後に砲火学校の訓練用砲台として終戦迄稼働状態にありました。 土、日、祭日限定で9時から一般公開しています。
近くに駐車場がないため、観音崎で車を停め、海沿いを散歩しながら到着。観音崎砲台よりもこじんまりしているものの、きれいに昔の状態が維持されていて、当時の雰囲気を味わうことができます。また、弾薬庫や兵舎もあり、一部中に入れるようになっています。電気がないため、晴れの日も中は薄暗く、湿度もあるため、不気味さと戦争の怖さを感じます。階段を上がると小さな広場とベンチがあり、海を眺めながら、のんびり過ごすことができます。
| 名前 |
走水低砲台跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
046-822-8256 |
| 営業時間 |
[土日] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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営業時間が土 日 との案内だったので、土曜日の午後に訪問。京急バス 走水上町バス停より徒歩にて約7~8分ほどです。特に案内所があるわけでもなく、自由に見学できます。一部ガイドツアー同行のみ通行可の表示があり、侵入できないところもありますが、どこでツアーを申し込むのか?でした。遺構自体は管理もよくいいコンディションで保存されています。千葉 富津岬にも同様の遺構がありますが、「富津もいいけど、走水もね!」という感じです。内部に入ることもできるので、ゆっくり見学できるのもグッドです。この手の遺構好きにはいい感じで楽しめるのではないでしょうか?遺構の入口に門が設けられているところが何か所かあり、もしかすると、平日は閉じられて中に入れなくしたるのかもしれませんが、詳細はわかりません。観音崎北門第1 第2砲台跡に向かわれるのも良いと思います。