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名前 |
義士義民追頌碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
5.0 |
江戸時代の末期文政5年(1822年)に起こった宮津藩最大の百姓一揆の指導者として処刑された人たちを義民、一揆に同情的だったとして死罪になった宮津藩士を義士として顕彰するため、大正14年(1925年)に建立された記念碑。碑銘は頭山満、碑文は文豪の幸田露伴の撰文。しかし碑文は摩滅してしまっていてまったく読めなくなっている。かつては宮津市教育委員会による解説の駒札が立てられていたらしいが、いまはなにもない。一揆の起こりからその結末までの動向は非常にドラマチックであり、人間ドラマとして感動する。ぜひネットなどでその詳細を調べていただきたい。また、ここ以外にも、江戸時代末期から処刑された一揆のリーダーたちを密かに悼むための地蔵尊が庶民の浄財により建立された。京丹後市大宮町常吉の平地地蔵、与謝野町石川の神宮寺地蔵尊がそれで、ぜひそちらもお参りしてもらいたい。