市川関所跡でのんびり。
市川関所跡の特徴
成田街道の千葉県の入口に位置し、歴史を感じられます。
江戸川の土手の上にあり、散策に最適なスポットです。
石碑や冠木門があり、雰囲気が良くのんびりと過ごせます。
市川関所跡〒272-0034 千葉県市川市市川3丁目23-272025年8月2日、市川市民納涼花火大会の時に前を通りました。花火に向かう皆さんは、地元の方が多いせいか、あまり注目することなく、前を通り過ぎていきます。しかしながら、案内板で、江戸時代、ここに関所があったということを知り、とても興味がわきました。「市川関所跡」江戸時代以前の江戸川は太日川(ふといがわ)と呼ばれていた。奈良・平安時代の関所跡周辺には、井上駅家(いかみのうまや)がおかれ、都と下総国を往来する公の使(つかい)が太日川の渡し船と馬の乗りかえをおこなった。また、室町時代には、市川を旅した連歌師の宗長が、その時の紀行文「東路(あずまじ)の津登(つと)」のなかで、市川に渡(わたり)があったことを記しており、古くからここに人々が集い、川を渡っていたことがわかる。やがて、江戸に幕府が置かれると、江戸を守るなどのため、関東の主な川に、船の渡場で旅人を調べる「定船場(じょうふなば)」が設けられた。古くから渡があり市場でにぎわっていた市川が選ばれ、これが後に関所となった。時を経て、江戸時代の中頃には、川のほか山や海を合わせ、全国各地にたくさんの関所が設けられていた。これらの関所には取り締まりが厳しい関所と比較的ゆるやかな関所があり、市川の関所では江戸へ入る武器と江戸から出てゆく女性が、特に厳しく取り締まられた。「市川関所」と呼ばれることもあったが、多くの場合は「小岩・市川関所」と記され、対岸の二村が一対で一つの関所として定められていた。そして、分担して関所にまつわる役割を果たしていた。幕府の役人が旅人を調べた建物は小岩側にあったので、市川村は緊急事態の時に駆けつけて助ける役割を担い、名主の能勢家が取り調べをする役人を補佐した。また、江戸時代を通じて、江戸川には橋が架けられなかったので、関所を通り、水戸・佐倉道を往来する人々のために、市川村では、二~三艘の船を用意し、川端に番小屋を建て、二〇人前後の船頭や人夫を雇っていた。そのため「御関所附渡船之村方(おせきしょつきとせんのむらかた)」とも呼ばれた。慶応から明治へと時代が変わった時、旧幕府軍と新政府軍の激しい戦いの舞台となり、明治二年(一八六九)に関所廃止令が出されて、その使命を終えてもなお、明治三十八年(一九〇五)に江戸川橋が架けられるまで、渡船の運行は続けられた。しかし、度重なる江戸川の護岸工事で、関所の建物や渡船場の正確な位置は、今日不明となっている。平成十六年七月市川市江戸名所図会この関所跡は、市民の寄附金により建てました寄贈 松丸國光。
散歩の途中に訪問しました石碑と冠木門?柵、周りに石の腰掛けがありました。散歩途中の休憩には良いかな?どうせなら関所風のちゃんとした施設を作ればと思いましたが、管理も大変だし怪しげな人たちの溜まり場になりそうだし、仕方ないと思いました。
成田街道の千葉県の入口です。江戸川を眺める。総武線と京成の鉄橋を眺め小休止する。
関所の存在を初めて知りました。場所は山崎製パンの総合クリエイションセンター裏の土手にあります。
江戸川の土手の上にある関所跡😺石碑や木材で作られた簡単な門があるだけです。関所跡とありますが、明治以降の護岸工事の影響で正確な場所が分からないらしい。あと、関所跡 後方の土手が(江戸川側)鳩🐦の溜り場となっていました。鳩に餌は与えないでと注意書きがあります😺
市川関所は、この場所にあったかどうかハッキリ分かってないのですが、多分このあたりだろう、という事で石碑、冠木門、柵と説明文を設置して有ります。散歩がてら行ってみるのもいいと思います。江戸川の土手の開けた場所に有るので。
関所の存在、初めて知りました。
昔に関所があった場所とのこと。石のベンチがあるので江戸川で運動してての小休憩くらいには使えそうです。水飲み場もトイレもないから対岸行ったほうがいいかな…笑。
のんびりしました。
| 名前 |
市川関所跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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対岸の小岩と合わせて、小岩・市川関所と呼ばれていたらしい。明治時代に橋が架けられるまで、渡し船で川を渡っていたそうです。