地図に頼らず見つけよう!
大森金五郎生誕の地の特徴
地図を頼りに訪れる価値がある、隠れた史跡です。
見落としがちな場所に位置する、大森金五郎の生誕地です。
訪れる際は地図を確認することをお忘れなく。
武衛(源頼朝)殿研究の、第一人者。頼朝の死因は、糖尿病(1型?)が深く関係しているらしい。
歴史学者である大森金五郎は、慶応3(1867)年に上総国埴生郡又富村(現・長生郡長南町又富)に生まれ、明治27(1894)年に東京帝国大学文学科大学国史科を卒業、30歳で第一高等学校講師、32歳で学習院教授、その後早稲田、明治、国学院、実践女学校で教鞭をとりながら、日本史学研究で大きな実績を挙げ、『国史読本』『武家時代の研究』『大日本史』などの著作を多数残しています。また、鎌倉幕府の初代征夷大将軍である源頼朝を敬愛し、頼朝研究でも大きな功績を挙げており、治承4(1180)年の石橋山の合戦に敗れ安房へ逃れた頼朝の上陸地を究明したのも大森金五郎であり、その場所は『源頼朝上陸地』(安房郡鋸南町竜島)として千葉県の史跡に指定されています。現在、ここ生誕地は『大森金五郎生誕の地』として、長南町の文化財(記念物)に指定されていますが、敷地内への立入り不可で駐車場ありません。
名前 |
大森金五郎生誕の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.3 |
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なるほど地図に表示されてなければ見落としますね。