戊辰戦争の道標、供養塔が魅せる。
板室古戦場の特徴
戊辰戦争の歴史を感じる貴重な戦跡が残る場所です。
供養塔や石仏が点在し、歴史を学べるスポットとして魅力的です。
駐車場はないため、事前にアクセス方法を確認することをおすすめします。
道が大きく曲がるところにある。曲がることに気をとられて今まで気付かなかった。史跡 板室古戦場、の案内板。慶応四年(1868)の戊辰戦争の際に、旧幕府軍第一大隊および会津砲兵隊の一部と回天隊は、白河出撃の命を帯びて、三斗小屋宿に約1000名が滞陣していたが、四月軍議が一変して、大田原城攻略の命がくだり、板室本村に進んだ。閏四月二十日、新政府軍は忍藩兵を先鋒として、大垣藩兵がつづき、二番隊として薩摩・長州兵が北上しはじめ、塩野崎村で小戦を交え、日暮れに旧幕府軍は板室本村へ撤退し、新政府軍は同地に宿営した。二十二日早朝、新政府軍は、穴沢村(三十一戸)に放火して二十七戸を焼き、午前十時頃由井村の旧幕府軍(四十八名)を撃退して進攻、阿久戸坂をはさんで激しい攻防を展開した。遂に旧幕府軍は撃退され、三斗小屋方面へ敗走し、戦闘は午後三時頃に全て終了したと伝えられている。由井(四戸)、阿久戸(六戸)、板室(二十八戸中二十七戸)は戦火で焼失し、最前線で指揮を執っていた旧幕府軍頭取の小笠原新太郎など十七人が戦死した。頭の欠けている石仏一基。その前が低くて、降りてみると、戦死供養塔、の大きな石碑一基。その左側に、天保二年(1831)、刻の、石仏、文政九(1826)、刻の、石仏、寛政九年(1797)、刻の、顔の欠けた石仏、などが立てかけられている。古戦場らしく、淋しく、荒れた雰囲気がある。
駐車場がないです。
供養塔や石仏がいくつかあった。標柱はまた立てられてた。
戊辰戦争の戦跡。標柱が朽ちて倒れている。
| 名前 |
板室古戦場 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.nasushiobara.lg.jp/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunkazai/2/7/2602.html |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ここに建てられた供養塔は道標を兼ねていて、「左いたむろ右ろくとち」とある。細い道が沢名川の方に降りていくが、六斗地の集落は対岸である。建碑の年は明治27年と読めるが、旧幕軍の供養碑だけに新政府を憚ってのことか、維新後すぐには建てられなかったのだろう。