歴史感じる秋月家の古城。
高鍋城跡の特徴
高鍋藩秋月家の誇り高き居城跡に歴史を感じることができます。
低い山なので子供でも楽に登れる気軽なスポットです。
古城を訪れると、高鍋町を見守る神々の存在に感動します。
もともとは日向国北部の縣(あがた\u003d延岡)の土持氏の城で、昔は財部と呼ばれていました。やがて高城や日知屋城とともに伊東氏の支配下となり、伊東四十八城のひとつとなります。伊東氏没落後は島津領となり、さらに豊臣秀吉の九州平定後は島津とともに秀吉に抗った筑前の秋月種実が、36万石の大領から財部3万石へ減封されて入部し、そのまま秋月氏が明治まで藩主をつとめました。この際に財部から高鍋へと改名されています。山城ですが、山麓から中腹にかけては石垣が積まれた広い曲輪が連なる近世城郭で、石垣がなく小規模の曲輪が連なる山頂部には中世山城の雰囲気が残ります。本丸の上にある三階櫓が建っていたとされる詰の丸の高石垣が見事です。
高鍋藩秋月家の居城跡です。戦国時代に日向国内を支配した伊東氏の時代には財部城と呼ばれており国内に48の城砦が築かれていたとされる伊東四十八城の1つでした。現在は遺構等がほぼ見つかっておらず、何処に櫓や天守があったのかも定かではないですが、実際に1番高い位置まで登ってみたところ、坂はかなりの急勾配で、広場がいくつもありましたので城の規模としては広大で険峻だったことが窺えます。
二の丸までの広い平坦な曲輪から、主郭部は急坂を上がった先にあります。主郭部もしっかり削平されています。三の丸が高鍋農高で、東側に城堀がぐるりと残っています。三の丸の堀が残ってるのは珍しいように思われます。
秋月氏の居城で元々は財部氏が住んでいたエリアという。学校が近いので、夕方親のピックアップ待ちの学生が居た。城下町に住んでる人々に羨ましくと思う。
歴史を感じられる城跡です。また周りには濠の跡も残っています。歴史好きな方は是非訪れて見て下さい。
沢山の神々が高鍋の町を見守っていて素晴らしかったです。景色も最高です。
山形県鶴岡市出身の作家・藤沢周平は、米沢上杉藩中興の祖「上杉鷹山公」を題材に「漆の実のみのる国」を書きました。それを読んで「鷹山公」の故郷・高鍋を訪ねたいと思い続けて来ました。鷹山公の兄君・高鍋藩主「秋月種茂公」も名君として遍く知られています。毎年10月に行われる「灯籠祭り」は「種茂公」の遺徳を偲ぶものだそうです。
宮崎に、住んで居て、そんなに、この方面に、用事があるわけではないので、敢えて、中々行かない場所だと思います。ですから、偶々、ちょっと寄ってみようと言うことになり、立ち寄りました!普通と評価しましたが、神社があったり、木々が、沢山あって、 資料館なんかもあり、へー、こんな処に、お城ね~なんて感じでした!近辺の方々には、どんな場所なのか、判りませんが、ちょっと、素敵な空間の場所でした!
舞鶴と言えば桜というイメージでしたが、これみよがしに咲き乱れてる訳ではないですね。城の造形が残っていて高鍋の歴史に触れられる場所でした。
名前 |
高鍋城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.town.takanabe.lg.jp/soshiki/shakaikyoiku/4/2/2617.html |
評価 |
3.7 |
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低い山なので登るのは楽です。少し登れば海まで見渡せます。下の見える部分には石垣がありますが、山上のほとんどは土の城です。早い段階で本丸政庁・奥御殿に住んでいたので特に山上に石垣を築かなかったのでしょう。下から期待して登っていき途中に立派な石垣を見ながら本丸に達すると土塁や土の崖そのもので少々ガッカリしましたが城全体を見ると変な建物や展望公園つくって削平したりしてなくて、昔のままよく残っているので満足です。