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近所に50年以上住んでいますが、代々続くの農家のお年寄りも知らない史跡です。幕末期に京都守護職松平容保の幕府への建白で勝海舟が縄張りした稜保式城郭で淀川をのぼってくる夷狄から京都を護る目的で対岸の樟葉台場、下流の唐崎台場、大塚台場、上流の高浜台場と併せて建設されました。西国街道の関所的な役割も兼ねており、鳥羽・伏見の戦いでは、三重の藤堂氏の津藩、永井氏の高槻藩が警備していましたが、薩摩、長州の軍勢を無抵抗同然で通し、錦の御旗が翻れば、高浜台場と協働して淀川対岸の幕府軍を攻撃しました。住宅地に続く道路や水路は当時の堀の跡で、鋭角な角、不自然な道路形状が当時の様子を偲ばせます。