江戸時代の交通要所、伏見の魅力!
伏見義民焼塩屋権兵衛碑の特徴
江戸時代に繁栄した交通の要所、伏見の歴史を感じる場所です。
京都と大阪を結ぶ重要な中間地点だった深草の魅力を体感できます。
陸運や船便が栄えた懐かしい風情が残る、貴重な史跡です。
名前 |
伏見義民焼塩屋権兵衛碑 |
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ジャンル |
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住所 |
〒612-0864 京都府京都市伏見区深草鳥居崎町624−6 |
HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hu146.html |
評価 |
4.5 |
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江戸時代深草、伏見は京都と大阪を結ぶ中間にあり、陸運や船便が栄え交通の要所の地でした。江戸幕府は直轄の伏見奉行を置いたそうです。伏見奉行に着任した小堀政方は、地位や特権を利用して町民らから御用金などを不当に徴収し暴政を振るいました。そのため人々は、苦難を強いれられました。このの苦難を救うために人情にあつく、村人から慕われていた。焼塩屋権兵衛 他6名(文珠九助、丸屋九兵衛、麹屋伝兵衛、伏見屋清左衛門、柴屋伊兵衛、板屋市右衛門)7名が幕府に命懸けの直訴で奉行を罷免させる事に成功しますが、焼塩屋権兵衛等は、再三による尋問を受け、相次いで獄中で病となり、最期を遂げてしまいます。毎年、5月19日に慰霊祭が行われているそうです。