甘木の歴史と大楠に触れる。
安長寺[臨済宗東福寺派]の特徴
甘木遠江守安長ゆかりの歴史あるお寺です。
国道から少し入った所に大楠があります。
毎年1月に開催されるバタバタ市が魅力です。
今より一千有余年前、甘木遠江守安長という豪士ありて、父を安道といい、矢田の金剛山寺の地蔵を信仰せり。安長、幼時に疱瘡を患い命危ぶまれしが、父安道は矢田に篭り、祈願し霊夢を得て安長の病が癒えたのである。安長がこの地に移り、幼時の霊護に報いんと矢田(奈良県)の地蔵尊を迎え本尊として本堂に祀る。この延命地蔵大菩薩創立由緒により疱瘡退散祈願の参詣者多く、豆太鼓「バタバタ」の生まれたのはこの時である。後に祖を祀るための一伽藍を建てた。開山は満慶上人(満米)である。彼の氏を村にあて甘木村とし、名を寺にあて、甘木山安長寺と称えた。甘木市は、この安長寺の門前町から発展した町で、久遠の計を恵まん為、物品交易の市を開いた正月の初市に始まり、市の日が町名として二日町・四日町・七日町・八日町等、現在も残っている。祇園社(現在の須賀神社)の社殿左手の大樟と共に、大分県玖珠郡切株山より子苗を移したとされます。2本の距離は直線で約280m。安長寺が女樟(赤樟)、須賀神社のものが男樟(青樟)で夫婦仲睦まじく、夜はフクロウに託し互いに語りあかすと伝えられ縁結びの樟とも言い伝えられているそうです。
甘木鉄道の鉄印をいただき、甘木駅の散歩で訪問。山門を入り、本堂を見上げると、御神木が。本堂と背後にある御神木。このバランスが素晴らしい。この絵になる風景。これを見るだけに訪れる価値ある場所だ。御朱印はいただけないようだが、御神木に抱かれた本堂。素晴らしい風景だ。
甘木の地名由来地。大楠の伝説もある。隣接する神社にも大楠があり、その楠と安長寺の楠は恋人同士。夜中になると楠と楠がふれあい、フクロウを介していろいろ話しているらしい。
ずっと、お参りに‥行きたかった安長寺‥‥そして、バタバタ市も‥ 境内は、とっても、歴史あるお寺で、素敵ですよ!また、境内の大きなくすのき、見ごたえあります o(^-^)oパワーをもらいましたよo(^-^)o 尚、バタバタは、1月4日・5日の二日間だけですよ。
大楠が見たくて訪れました。車で行こうとしたのですが、カーナビでは入り口が分からずグルグルと廻ってしまい断念。歩いて訪問しました。車でたどり着けたなら、山門の横に二台程の駐車スペースあり。
大樟が素晴らしい。
国道から少し入った所にあり目立たないがすごく立派な大楠がある。
甘木山 安長寺は、朝倉市役所の南西1kmほどにある臨済宗東福寺派の寺院です。創建は延喜年間(901-923年)の末919年頃、甘木遠江守安長に因ります。山号「甘木山」寺号「安長寺」はこの安長の氏名及び名にちなんだものです。正安年間(1299-1301年)、博多承天寺の住職蔵山順空和尚(諡号は円鑑禅師)が現在の禅宗に改宗しました。「甘木」という地名も安長の氏名をとったものです。1月4日、5日の2日間に「バタバタ市」が開催され、「豆太鼓バタバタ」が販売され、多くの買い物客で賑わいます。境内には県の天然記念物に指定されている樹齢1100年の大楠があります。今日、福岡県地域を代表する飴の生産地は甘木で、福岡市の櫛田神社・筥崎宮をはじめとして全国の神社の七五三に用いられる千歳飴がここで作られています。甘木における飴の生産は、江戸時代の中頃に安長寺の門前で大坪七之助という人物が三奈木産の黒砂糖を原料とする棒状の「地蔵飴」を売り出したことに始まるとされます。 しかし天正8年(1580年)創業とされる甘木飴の老舗「三松堂さんしょうどう」(朝倉郡筑前町久松)には、 天正15年(1587年)九州平定の途中に甘木の安長寺に立ち寄った豊臣秀吉に棒飴を献上したところ「甘き飴」との褒め言葉を賜ったとの伝承があり、現在でも飴の袋には安長寺境内のカンボクの葉の図案が用いられています。臨済宗は、宋時代の中国に渡り学んだ栄西(1141年 - 1215年)らによって、鎌倉時代以降に日本に伝えられ、栄西が伝えたのは黄竜派の教えでしたが、様々な流派が成立しました。東福寺派は、1236年、宋に渡り帰国した円爾(弁円)により京都で始まりました。本山は京都の東福寺です。戦国時代、毛利家の外交僧として活躍した安国寺恵瓊はこの宗派です。
📺のローカルニュースに出てる毎年1月4・5日のバタバタ市❗。名物豆太鼓🥁はその日しか買えます🙂。
名前 |
安長寺[臨済宗東福寺派] |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0946-22-5361 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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大楠が後ろにあるってだけで映ますね……しかし、堅苦しいお寺というよりは神社のような気楽さがありました。トイレはないかも……?