熊野大社から車で見つける!
長谷観音の特徴
道幅が狭く車のすれ違いには注意が必要です。
初めて見る観音様に感動する場所です。
駐車場が限られているため、訪問の際は計画的にどうぞ。
奥まった山の麓にあります。降雪量の多い置賜地方なので、12月から4月位までは参拝できないようです。中興の祖は、慈覚大師円仁さんで、自作の観音像だったみたいですが、江戸時代に消失したとの事で、後に上杉氏から観音像が奉じられました。
熊野大社を過ぎて右側の道へ双松バラ園をすぎて2kmぐらい細い道を行きます。舗装道路が終わると左側にありました。こんなところで芋煮する人がいたのかね。注意書きのかんばんがあります。鮮やかな朱色の仁王門がきれいです。御朱印所は熊野大社前の通りにあります。2023.6.24
奥まった山の麓にあります。降雪量の多い置賜地方なので、12月から4月位までは参拝できないようです。中興の祖は、慈覚大師円仁さんで、自作の観音像だったみたいですが、江戸時代に消失したとの事で、後に上杉氏から観音像が奉じられました。
熊野大社入口で幟を見つけて行ってみたのですが、大社付近かと思いきや3㌔以上離れており微妙な分岐もあって迷いました。駐車場は手前の集落にあるもよう。入口付近にも一台駐められるスペースがあるものの川沿いで切り返しが難儀なので、先方の広目の草地で方向転換をお勧めします。参道の階段の手摺はあちこち破損しているのでご注意を。寺の縁起は平安初期と古く、慈覚大師再興と伝えられ、江戸時代の本堂は優れた彫刻が目を引きます。が、本堂正面には隙間なくお札が貼られており一見幽霊寺にさえ見える容貌です。本尊は六尺の聖観音立像で(長谷式十一面観音じゃないんだ)伝・行基作と言われる秘仏です。あちこちに「境内で芋煮禁止」の看板が。えっ、ここで?山形県民の芋煮愛は想像を越えていました!
道幅の狭いところを通るため車のすれ違いは難しいと思います。
南陽市宮内にある長谷観音堂です。熊野大社脇の道路を進んだ先にあります。置賜三十三観音霊場第30番札所で、御本尊は聖観世音菩薩。有り難く、宝積坊にて”聖観世音”の御朱印を頂きました。鳥居には「境内での芋煮会は固くお断り」との文字が。実際にやられる方々がいらっしゃるんでしょうね…
初めて観音様が、見ました。
《車のすれ違いにご注意を!》長谷観音は置賜三十三観音の第三十番札所です御本尊は《聖観世音菩薩 》お参りすれば諸願成就の御利益です農道からは石灯籠と案内看板の間の石段を真っすぐに上ります鳥居には〈境内での芋煮会禁止〉と看板がありますが、いくら山形県民でもここまできてやるかと思います途中に立派なお手水舎がありますが水は出ていなかったです石段を上りきると 朱色の仁王門がありますが扁額には〈二王門〉との文字、中の仁王像は憤怒の表情です境内は広く開けた感じで、右奥には目指す観音堂があります扉は閉まっておりますので、外からお参りさせていただきました観音堂の両側壁には多くの納経札が貼られて巡礼寺の雰囲気です堂の梁には力強い龍と天女の透かし掘り、木鼻は獅子と象の彫り物です色は褪めていますが、こちらの堂も元は朱色だったのではと思います上る際、木の階段の一段幅が高い為上り下りには気を付けて下さいそれと境内の狛犬の足がかなり長く太くのけ反ってる感じ、沖縄にあるシーサーみたいに見えます観音堂までの道路は熊野大社の横を入る細い道を進みますが、住宅地を過ぎたあたりから細くなり普通車もすれ違えなくなります(待避できる場所は3か所くらいあります)駐車場は、道路沿いの住宅地の中に8台くらい(案内板と旗があります)観音堂手前にも転回できるくらいの空き地があり5台くらい停めれます(旗が目印です、ここからは石段の登り口まで20Mくらいです)たまに農作業の軽トラが通る程度で一般の車両は走りませんがすれ違いにはご注意ください!人里離れた場所なので薄暗くなってからのお参りは寂しいです令和の御開帳では御朱印を第18番新山観音の御朱印所である珍蔵寺で2か所分一緒に頂くようですパンフレットでは熊野大社参道沿い〈宝積坊で〉となっておりますのでお間違えなさらぬように。
神社巡りや、観音様巡りをされてる方にはオススメです。熊野大社のすぐ横の細道を登って行くのですが、山の中なので虫対策はした方が良いと思います。(虫嫌いなのでマイナスポイントです。)境内は整備されていますが、石段や苔のある部分もあるのでヒールの高い靴や革靴は避けたほうが無難ですね。お堂の階段が、各段が高さがあり、足の不自由な方やお歳を召した方にはかなり厳しいです。ご注意を。
| 名前 |
長谷観音 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0238-47-3069 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
〒992-0472 山形県南陽市宮内梅ヶ沢梅ヶ沢4220 4220 |
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長谷観音堂の創建は貞観九年(867年)に当地宮内を巡錫で訪れた慈覚大師円仁がこの地を霊地と悟り、自ら彫刻した聖観世音菩薩を安置したのが始まりとされます。御本尊は非公開です。長谷観音堂は歴代の宮内領主から信仰され天正十七年(1589年)には当地の宮沢城主大津土佐守本次が再興し、その際に再建した観音堂が飛騨国の匠による壮麗な御堂だった事から「匠堂:たくみどう」の別称が付けられました。また一説では文政年間(1818年~1830年)に火災により多くの堂宇が焼失すると当地は米沢城から見ると北東に位置する事から米沢城の鬼門鎮護の寺院として文政十年(1827年)に米沢藩第十一代藩主上杉斉定の許可を得て再建され上杉家秘蔵の観世音菩薩像が安置されました。上杉家秘蔵の観世音菩薩像は慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いの際に西軍に与した上杉軍が東軍の最上領内に進攻し長谷堂城で激しい攻防戦が繰り広げられたといい、その際城内に構えていた長谷観音堂の御本尊で行基菩薩が彫刻したと伝わる丈六尺(約百八十センチメートル)の観世音菩薩像とされるものを持ち出して宮内の長谷観音堂に安置したと伝えられています。観音堂は明治二十四年(1891年)に火災により焼失したが後に再建している入母屋造り銅板葺きの屋根を持ち正面に三間の向拝を付けていて階段も三間の幅がある、高床式(床下は吹き抜け)で高欄・擬宝珠付きの縁を廻らしていて縁の下回りには檻のように見える細い縦板を格子状に取り付けている、張り柱や梁には龍と天女の透かし彫り木鼻には獅子と象の彫り者が施されている、ます。