白角折神社の誇り高き歴史。
白角折神社の特徴
白角折神社は景行天皇代からの由緒ある神社です。
拝殿前の狛犬は文政年間の貴重な歴史を持っています。
JR久留米駅から歩いて十分のアクセスが魅力です。
白角折神(しらとりじんじゃ)は、JR久留米駅の南800mほどの久留米市白山町(旧久留米市白山町字中牟田)の住宅街に鎮座している神社です。旧社格は郷社です。創建は弥生時代後期(景行天皇26年)にまで遡り、古代の人々が郷土の守り神として分霊した由緒ある神社です。御祭神の日本武尊が白鳥に化身したのを祀ったともいわれています。その他の御祭神は、中筒雄尊(住吉三神)、応神天皇です。天正年中(1573~1592年)に毛利秀包襲来の兵火で社殿や楼門などすべてが焼失しましたが、正保4年(1647年)に再建されました。境内には御汐井の井戸があり、神事の前に身や心を洗い清めます。神社のある「白山(しらやま)」という地名は、かつてあった筑後久留米藩の三潴郡(みずまぐん)白山村に由来します。明治9年(1876年)庄島村、京隈村が合併して白山村が発足しました。明治11年(1878年)御井郡(みいぐん)白山村となりました。明治22年(1889年)久留米城下、白山村、櫛原村、東久留米村、西久留米村が合併して久留米市が発足し、白山村は消滅しました。
白角折(しらとり)神社は、景行天皇代に郷土の守り神として造られた由緒ある古い神社です。御祭神は、日本武尊、中筒雄尊、応神天皇の三柱です。しかし、景行天皇代の創建ということは、日本武尊命の熊襲退治の頃と考えられ、応神天皇はまだ存続しない時代ということになります。名前の由来は、神功皇后が三韓遠征の折、白鬼を組伏せ角をおったことにちなんだという説と、日本武尊が白鳥に化身して白鳥大明神となったという2説があります。シラトリ神社は近隣に小郡や、久留米の荒木にもあります。白角折神社は佐賀の神崎にもありますが、ここはおしどりじんじゃとよみます。いずれも日本武尊を祀っています。安土桃山時代には、毛利秀包襲来の兵火で神社はすべて焼失します。その後再建され、明治6年には、郷社の指定を受けます。
結構な広さの神社で、歴史が有ります。80代の方々も、子供の頃はよく遊んでたそうです。
白角折(しらとり)神社さんは古く、昔から地元の人から愛されてる小さい神社さんです。大きな銀杏の木があり、夏、秋はキラキラしています。御祭神は、日本武尊、中筒雄尊、応神天皇です。小さい公園もあり、子どもちゃんを遊ばせるのもいいかと思います。
JR久留米駅から歩いて十分位の場所に在る神社。白角折と書いて、しらとり神社と地域の人は言う。休憩施設などはないが大きな樹木が生い茂り、ちょっとしたお散歩に行くのには良いかも知れない。ただし、駐車場はないので注意が必要。
家の近くに、こんな由緒ある古い神社が有るとは知りませんでした。弥生時代から地元の人に信仰されてきた神社のようです。大きな銀杏や楠の木があって、ほどよく木陰になって、それでいて暗さは無く、夏でも涼しく遊べるだろうな。と心地よかったです。
神崎の白角折神社は(おしとり)と読むらしいが、こちらは(しらとり)なのですね? 荒木町の白鳥神社とはどういう関係なのでしょう?そなたりどなたか詳しい方よろしくお願いします。
しらとりと読むとは❗白鳥にもなる一番古い神社かも。因みに、白鳥神社は、荒木町白口にもあります。こっちの方が大きいけど。
明治に白山町ができる際、現在のムーンスター敷地内の県道17号線沿いに山王宮があって、白角折神社とから一文字ずつ取って「白山」町としたそうだ。
名前 |
白角折神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
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伺いましたら氏子様とみられます方が清掃されておりました、参拝を終えご挨拶いたしまして少しお話を伺いました、毎日広い境内で運動がてらお手入れをされているそうです、こちらの神社を誇り高く大切にされているご様子です、拝殿前の大きい方の狛犬は文政年間のものであろうというお話でした。また、拝殿前の肥前狛犬は氏子様が子供の頃は今のように希少であると知られていなかったために荒縄を巻いて祭りの際に地域を練り歩いた思い出があるそうです。そんなお話の間にも参拝される地域の方も居られ、あいさつを交わされております。今では希少な肥前狛犬のその昔の逸話は大変希少なお話です。このような氏子様のお働きや地域の皆様の見守りで大切にされております、話の後で撮影をしていると肥前狛犬はより以上に可愛らしく感じられました。境内の鳥居に向かって左側に参拝者駐車場が有り数台停められます。