真木和泉を祀る水天宮。
真木神社の特徴
幕末の尊王攘夷派、真木和泉守保臣命が主神として祀られています。
明治維新に殉じた一門や門下生も天王山での自刃とともに祀られています。
水天宮境内にあり、御朱印は水天宮社務所でいただけます。
水天宮の一ノ鳥居をくぐると右側に、お宮を見えて来ます。水天宮第22代宮司真木和泉守と同志の方を御祭神とした神社です。幕末の尊王攘夷活動家だったようで、禁門の変(蛤御門の変)に参加、敗走ののち山崎天王山で自害されたとの事。楠木正成公の崇拝者で、神戸の湊川神社等人物顕彰神社の創立や靖国神社、招魂社(各地の護国神社)の設立にも影響を与えた人物です。書置きですが、辞世の句の入った御朱印を水天宮の社務所でいただくことが出来ます。
水天宮総本宮境内社の真木神社。水天宮の22代目宮司の真木和泉守とその一門が祀られている神社。幕末に尊王攘夷の志士として活動しるも最後は自刃するという壮絶な人生を送ったようです。真木和泉守は拝殿左手に銅像が建てられています。御朱印(書置き)は水天宮社務所で頂戴します。
真木和泉を御祭神とする神社が水天宮の中にありました。銅像や復元された住居なども側にありました。久留米でも愛されている維新の英雄です。
幕末の英雄、 真木和泉をお祀りしている。歴史ファンなら是非お詣りしましょう。水天宮の敷地内に神社があります。書き置きの御朱印も水天宮で頂けました。
幕末の英雄、 真木和泉をお祀りしている。歴史ファンなら是非お詣りしましょう。水天宮の敷地内に神社があります。書き置きの御朱印も水天宮で頂けました。
水天宮内にあります。
こちらの御朱印も、水天宮社務所でいただけます。
幕末の勤王志士の中で異色というか、武士でなく神官の身分でありながら、指導者的な地位にあった真木和泉。最期は禁門の変で敗れて天王山に立て籠もり、自害して果てている。辞世「大山の 峯の岩根に 埋にけり わが年月の 大和魂」(真木和泉)※『大山』は天王山のこと。真木家は代々久留米の水天宮の神職を務めていた。先祖は平家の落人らしく、水天宮の祭神は天之御中主神の他に、安徳天皇、建礼門院徳子、二位の尼を祀っている。
真木神社の御祭神は主神として贈正四位 真木和泉守保臣命(マキイズミノカミヤスオミノミコト)がおられます。(文化10年〜元治元年、享年52歳)この方は水天宮第二十二代の大宮司にして藩政の改革子弟の教育、尊王、討幕明治維新の中心的指導者として活躍し禁門の変において国難に殉ぜられたということです。辞世の句として、「大山の峰の岩根に埋めにけりわが年月の大和魂」を遺しています。天王山で割腹した十六烈士も相殿神として一緒に祀られています。(写真参照)真木神社のすぐ横に山梔窩(くちなしのや)がありますが、そちらを建て子弟の教育、養成を行いました。
| 名前 |
真木神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0942-32-3207 |
| HP |
https://www.webkohbo.com/info3/chikuzenchikugo/suitengu.html |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
眞木家の始祖は平家に仕えた女官按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)安徳天皇の母に支えており壇ノ浦の後千歳川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて建久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのに始まる。その後、平知盛の孫にあたる右忠が伊勢の養子となり平家の血脈をつなぐこととなり現在に至るまで子孫が代々宮司職をつとめている。その眞木家が尊皇攘夷派の重要人物となるとは。歴史はどこかで繋がっているので面白い。