震災を語る、残された記憶。
米沢商会跡の特徴
震災遺構米沢商会は物悲しさが漂う場所です。
市役所や市民会館近くに位置する歴史的な三階建てのビルです。
震災から10年経った今も周囲には何も残っていません。
あの東日本大震災を忘れないため、今回で4回目の訪問。毎回思う事。それは津波の大きさ、高さが尋常ではないこと。多くの命を奪った津波。今生きている私たちは、生きているのではなく、生かされているんだと、、、今回も改めて感じた。
テレビやYoutubeで拝見したことはありましたが、実際に現地で米沢社長のお話しを聞けたことと煙突の上からの風景を見ることでより津波の壮絶さが身に沁みました。この遺構は後世のために未来永劫残すべきだと思いました。
震災後無くなってしまった街が訪れる度に新たな建物が建設され、再生していく姿に心から応援しております。周囲が更地の中、震災遺構として残しているその姿に何か特別なものを感じます。
陸前高田の街がかつてあった場所に、唯一残っている建物です。陸前高田駅からは慰霊碑のある公園から階段を降りて、そばまで行けます。屋上に書かれた津波の到達地点の高さに目が眩みます。そばにはメッセージ「忘れないよ みんなと暮らしたこの町」が書かれています。
2023.8.20に行きました。地理院地図の年代別の航空写真を見ましたが、震災前には米沢商会の周りには何軒も家が建っていました。ですが、2011.3.11に陸前高田では約15mもの津波が押し寄せ、多数の家屋が流されました。ですが、米沢商会のビルは震災に耐え残り、震災から数か月後の診断でも建物の安全性に問題はないと判定されました。店主さんは自宅も津波で流されて両親・弟の思い出につながる品物がなくなってしまった中、当ビルが残された唯一の形見であるという考えから、そして震災の記憶がない娘の世代に自らの経験を語り継いでいくため、当ビルを取り壊さず保存することを決断したそうです。震災後の復興工事で、当ビルの周囲は2mかさ上げされましたが、当ビルの敷地は震災当時の高さのままで残っています。
3.11震災のあと写真や映像では何度も見たはずの建物ではあるが、実際に周囲の風景込みで目にすると、更地になった区画にポツンと建つ姿に強く違和感を覚える。一見、建物そのものには損傷が無いようにも見えるが、内装はことごとく失われ、屋上にある「津波到達水位」の表示もちょっと現実感が薄い。実際にこの場に来ないと、あの時の映像が事実だったと本当の意味で理解できなかったかも知れない。今後この付近がどのように開発されていくか分からないが、今の景色を見ておいて本当に良かったと思う。
東日本大震災の震災遺構群の一つ。ここ陸前高田では道の駅陸前高田を中心とした遺構の他に、下宿定住促進住宅と個人所有物として米沢商会がある。この米沢商会の所有者は、津波の際に屋上の一番高い部分まで娘を抱えて上り詰めて何とか助かった事から、思いがあって建物を残す決断をしたそうだ。周辺は区画整理されているが、おそらく居住用には出来ずどのみち使いようがない土地ということもあったのかもしれない。尚、背後には駅やお店などは嵩上げした土地へ新たに設けられ、米沢商会と遠くに道の駅陸前高田が遠望できが、先述した震災遺構群と共に回っておきたい。
この一軒取り残されて物悲しさが漂います。建物はバス停から見えていました。
市役所や市民会館近くにあった米沢商会の三階建てのビル。オーナーの強い意志により、被災したままの姿での保存がされている。周囲が若干かさ上げされているが、建物の根本部分は、昔の高田の地面の高さ。今後もこの場に立ち、津波の高さや震災以前の街並みや人々に思いを馳せることに相応しい場所かもしれない。余談ですが、このビルは、あのS建設が作ったビルらしい。孫請け?した大船渡市の業者の社長が言ってました。何年か前の3月11日にこの場所でお会いしました。陸前高田市内には、S建設の建物が三棟あったらしい。いろいろ条件が厳しかったらしいです。
| 名前 |
米沢商会跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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今は何もないこの場所は震災前は陸前高田市の中心街で人口密集地だったそうです。津波が煙突上部まで達し、オーナーの米沢さんはここに避難して生還されました。周りが盛り土される中で、当時の地面の高さや津波の到達点が分かる貴重な震災遺構です。