飛鳥時代の魅力、物部神社へ!
物部神社の特徴
物部神社は饒速日命を祭神とした由緒ある神社です。
神社周辺では夏祭りの準備が進んでいました。
物部氏が最初に上陸した歴史的な場所に位置しています。
神紋「三階松」の考察です。物部神社は、608年創建のみやき町最古の神社ですが、物部神社になったのは、明治34年12月12日です。今日まで、次の神々が祀られてきたと考えられます。①大幡主 拝殿の瓦の右三つ巴紋、牡丹、境内の蘇鉄から②市杵島姫 昔の郷図にある弁天の記載から③豊玉姫 延享5年(1748) 改修時の鍋島宗教名の棟札「乙護神宝殿」から④武内宿禰 来目皇子(蘇我氏)が筑紫に来たことから⑤猿田彦 物部若宮部が当地に遣わされたことから⑥鸕鷀草葺不合尊 猿田彦と豊玉姫の子なので⑦田中大神 天保9年7月の狛犬の奉納者名から大幡主、市杵島姫、豊玉姫、武内宿禰、猿田彦、鸕鷀草葺不合尊は、邪馬壹(ヤマト)の成立に多大な貢献をした神さまで、3世紀後半に地域の別王(わけおう)とは格違いの強大な天皇(大王)となったのが高良玉垂尊です。高良玉垂尊の即位前のお名前が宮地嶽さんで、別名は「田中大神」、この方が三階松の神さまです。💡田中大神は、伏見稲荷大社本殿に祀られており、高格式の謎の神さまとされていますが、お稲荷さんのひ孫になります。⭐️仮説 こちらの神社は、太宰管内志に「詳ならず」とある通り、中世以前が不明ですが、神紋が三階松なので、高良玉垂尊を祀っていたのは確かです。その子 仁徳天皇が東遷して難波宮を造りました。残った高良玉垂尊系や別王系の有力者達が九州を治めますが、白村江での惨敗や別王系の台頭の後に、九州では高良玉垂尊の天皇名や五七桐を使いにくくなった思われます⭐️その打開策として出来たのが三階松です。三階松は、高良玉垂尊の曾祖父、祖父、父(懿徳天皇、孝霊天皇、孝元天皇)を表しています。🌾神社の所在地 中津隈。「津」で港があったことがわかります。大幡主は海神族で、別名 大海神(おおわたつみ)です。🌾「隈」がつく所は、何らかの形で大幡主と縁があります。大幡主が奴国に来る前に隈本にいたからです。なお、隈本を熊本に変えたのは加藤清正です。🌾推古天皇10年に来目皇子が筑紫に至り、物部若宮部を遣わし、この村に社を建てたと肥前国風土記にあります。指示したのが皇子なので、祀ったのは天皇(大王)が自然です。🌾私が参拝した時、氏子の方が社殿を撮影しておられました。修繕を行うので元通りに出来るように写真を撮っているとのことでした。写真の前は絵、絵がなければ氏子さんの記憶で、神社は千年以上、神紋や様式などその姿を守ってきました。また、世の中の変化で、ご祭神の変更があっても、氏子の皆さんは、何らかの形で自分たちのご祭神を守ってきました。物部神社の神紋が何故三階松なのかが、分かりにくくなってはいますが、歴史をしっかりと伝えていると思われます。
飛鳥時代の由来を持つみやき町最古の神社。
とても素敵な場所。清潔でかなり新しい。(原文)Very nice place. Clean and fairly new.
物部神社もののべじんじゃ佐賀県三養基郡みやき町大字中津隈字板部2725番1祭神饒速日命物部氏、尾張氏の祖全国に物部神社がありますが朝鮮半島から物部氏が最初に列島に上陸したのはこのあたりであったのでしょう。
お参りした日は、夏祭りの準備中でした。地区の行事が残っていることは良いですね。物部の名前が気になって参拝しました。
こじんまりとした神社です。以前お参りした時に地元のおじさんがお社で昼寝をしていました。
| 名前 |
物部神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
〒849-0114 佐賀県三養基郡みやき町中津隈2725−1 |
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物部経津主が祀られている神社です。この神社周辺が肥前国風土記に書かれた物部の郷であったと比定され、明治時代に「物部神社」と改称されたそうです。物部経津主とは徐市(ジョフツ)…徐福の別名の事です。つまり物部神社にはモノノベ氏の祖である徐福が祀られています。創建の起源は記紀が書かれる以前の飛鳥時代の事です…推古女帝が新羅征討のため上宮太子(聖徳太子)の兄である久米皇子を筑紫に向かわせました。久米皇子は佐賀地方の旧物部勢力の家に立ち寄り、発病して翌年に死去しました。次に太子の弟である当麻皇子を向かわせましたが、彼の妻が病となり途中で引き返したそうです。よくないことが続いたので、石川臣家の血筋の推古女帝は、自分たちの勢力が、かつて物部宗家の守屋を攻撃し、滅ぼしたことに原因があると考え、神を鎮めるようモノノベを祀る神社を建てさせたそうです。駐車場は見当たりませんでしたが神社正面(南側)にスペースがあったので停めさせてもらいました。他に人はいなく、静かでしたが、掃除等はちゃんとされ、管理は行き届いている印象を受けました。由緒が書かれている案内板がないので、ただ来ただけだとなんの神社かよくわからないかもしれません。ちなみに北茂安町村誌によれば、市杵島姫を合祀しているそうです。市杵島姫は富家伝承によれば饒速日の妻であり饒速日は徐福の事ですので、夫婦を祀っている形になります。