羽州浜街道の歴史を感じる。
南光坊坂開道の碑の特徴
南光坊永順法師が開削した1839年ころの新道です。
羽州浜街道の一部として重要な史跡です。
吹浦から女鹿にかけての歴史的な悪路の名残です。
南光坊永順法師が、1839年ころから新道として開削を始めた。完成後法師の功績をたたえて、この地に建立した石碑である。現地を見れば、現在の様な機械が無かった時代に、これを完成させた事はどれほどの偉業なのか解る。Minami Kobo Eijun began to dig a new road around 1839. It is a monument erected on this land in honor of the practitioner after completion. If you look at the site, you can see how great it was to complete it in a time when there was no machine like the present.
でって場所わからん。
名前 |
南光坊坂開道の碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

庄内から秋田に通じる羽州浜街道は、吹浦から女鹿にかけては大変な悪路だったそうです。元禄2年(1689)「おくのほそ道」の道中、酒田から象潟に向かった芭蕉と曽良はその悪路の浜街道を辿りました。街道を行き来する旅人や住民の難儀を解消しようとして、天保10年(1839)に永順法印によって南光坊坂が開道されました。