千年の歴史、繁根木八幡宮。
繁根木八幡宮の特徴
熊本県玉名市の歴史ある繁根木八幡宮で落ち着きます。
繁根木八幡宮の立派な楼閣は見る価値があります。
玉名駅から徒歩でアクセス可能な便利な場所です。
玉名市に鎮座する「繁根木八幡宮(はねぎはちまんぐう)」は、千年以上の歴史を持つ古社であり、地域の厚い崇敬を集める魅力あふれる神社です。玉名 繁根木八幡宮の魅力* 千年の歴史を刻む古社平安時代中期の応和元年(961年)に京都の石清水八幡宮から分霊を勧請して創建されたと伝えられる、非常に長い歴史を持つ神社です。かつてこの地域一帯であった大野別符の総鎮守として栄え、時の権力者である加藤清正や細川氏からも崇敬を受けました。境内に立つだけで、悠久の時の流れを感じることができます。* 壮麗な楼門と歴史の爪痕繁根木八幡宮のシンボルとも言えるのが、江戸時代初期に建造されたとされる二層構造の楼門です。その宏壮かつ精巧な桃山様式の彫刻は目を見張り、県の重要文化財にも指定されています。また、この地は西南戦争の際に官軍の本営が置かれた場所でもあり、楼門の仁王像などには当時の弾痕が生々しく残されており、激動の歴史を今に伝えています。* 八幡大神の御神徳と多様な境内社主祭神として応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の八幡三神を祀り、武運長久、殖産興業など広範な御神徳があるとされています。また、境内には菅原神社、高良神社、若宮神社、稲荷神社など複数の境内社があり、様々な神様にお参りすることができます。特に菅原神社は学問の神様として信仰されています。* 伝統を受け継ぐ秋季大祭「節頭」毎年10月に行われる秋季大祭は、五穀豊穣に感謝するお祭りであり、中でも平安時代から続く伝統神事「節頭(せっとう)奉納」は見どころの一つです。地域の小学生が節頭稚児として馬に乗り、仲間と共に神事を奉納する姿は、地域の歴史と文化が今に息づいていることを感じさせます。* 静寂な空間とパワースポット市内中心部にありながら、境内にはケヤキやクスノキの老木が茂り、荘厳で落ち着いた雰囲気に包まれています。静かに参拝すれば、日常の喧騒を離れ、清々しい気持ちになれるでしょう。地元の人々に大切にされているパワースポットでもあります。歴史、建築、文化、そして静寂な自然が調和する繁根木八幡宮は、玉名市を訪れた際にぜひ立ち寄りたい魅力的な場所です。
2階層の大きな楼門や、殉国の碑の日の丸に心打たれました。周辺は西南戦争の激戦地であり、ここには野戦病院がしかれたそうです。石垣には銃弾の跡も残るらしい。
Gorgeous!The gate has dragon sculptures.The gate was 12meters high & built in 16th century.The main shrine is quite, majestic scared site.桜門の龍の彫刻は躍動感すごかっです。二層造りで美しい門をくぐると本殿に。空気の流れが止まったような厳かな雰囲気です。静かな地元の人に愛されるパワースポットです。
静かな場所でとても良いところです。
玉名駅方面から歩いて参拝しました。周囲の道幅は割と狭く、行き交う車に注意が必要かと思われます。立派な楼門を潜るとのんびりとした穏やかな空気に満ち溢れ、ゆったりとした気分になれます。楼門に施された木彫に、暫し時を忘れて見入ってしまいました。素晴らしい時間をありがとうございました!
歴史のある神社です。3月に玉名市初市(植木市)、10月に大祭が行われています。西南戦争の舞台にもなっており、石垣には弾丸の跡も確認できます(丸く凹んでいるのですぐに分かります)。コロナが流行りだしてから夜になるとブルーライトアップやっています。
たまたま神社の前を通ったので参拝してみました。この神社の歴史はわからなかったですが、古くから鎮座している神社のように見えました。
いつ行っても、落ち着き、清々しさがあり帰りは笑顔になります。ありがとうございます。
【月 日】2020年12月8日【駐車場】有り【トイレ】有り🔷玉名市繁根木の繁根木八幡宮に参拝しました。参道には見事な楼門が有り、拝殿も大きな神社でした。
| 名前 |
繁根木八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0968-72-3734 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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伝承では応和元年(961年)に京都の石清水八幡宮を勧請されたと伝えられている。ただし1160年代後半に大野別府が成立する以前の神社としての動向はよく分かっていない。境内には貝塚があり、やや東の繁根木遺跡群から弥生時代後期の竪穴式住居が見つかっている。また北側には5世紀代の前方後円墳 稲荷山古墳もある(殆ど削平されている)ため古代から人々が生活していた地であることは確かだろう。繁根木八幡宮の前身?として玉名市中に旧宮地があったとされ、中世館の痕跡もあるらしいが具体的な年代は分からなかった。古墳時代後の玉名は奈良時代頃より日置氏が治めており、勧請されたとされる961年頃は立願寺や延喜式官社疋野神社の勢いが強かった。1050-1150年頃に日置氏は衰退していったようで1100年頃に伊倉の土地を宇佐八幡宮に売却し伊倉別府となったり菊池川東岸に安楽寺(天満宮)が進出した記録が残る。そんな中で1160年代後半に大野別府が当時肥後国司となっていた平氏の支配を軸として確立していく。大野別府を支配した紀姓大野氏が石清水八幡宮を総鎮守として祀ったのは「石清水八幡宮を深く信仰する平清盛の影響により勧請されたのでは?」とも思える。平清盛は1137年-1142年の肥後国司をしており、1160年頃(推定)に平貞能も肥後国司に就いている。高瀬港が整備され大野別府を中心とする水運の拠点が整備された点も含め、平氏の八幡信仰や水運技術が持ち込まれたのかもしれない。築地の浄光寺(後の蓮華院誕生寺)も大野氏の所領に平清盛夫妻を願って建立されたとも言われ関係を思わせる(実際は1298年に沙門恵空による創建と思われる)。それ以前も在地官人だった大野氏の氏神が祀られていたが大野別府の発展に合わせて八幡宮と合わさったのかもしれない。そして平氏が滅び鎌倉時代に入った1193年 紀国隆は大野別府の地頭となり支配をつづけていくことになる。1237年(嘉祥3年)の石清水文書によると筥崎宮領の大野別府と記されており、石清水八幡宮-筥崎宮-繁根木八幡宮の関係にあったことが伺える。以降は大野氏の総鎮守として大野氏の崇敬を受けていたが、南北朝時代には対岸の安楽寺を拠点に力を付けていた菊池氏が高瀬に進出し大野氏は築地や日嶽城へ。菊池武尚が一帯を支配し高瀬氏を名乗るようになり、後に加藤清正、細川氏と存続。西南戦争などを経て現代に至る。因みに神宮寺として壽福寺もあったが明治時代に破壊され跡地が残る。