浅井長政公の銅像を訪れよう。
浅井長政公像の特徴
名鉄小牧線間内駅の東側にある銅像で注目を集めています。
浅井長政公の歴史が詰まった、特別な彫刻として位置付けられています。
側室の子孫によって建てられた、感慨深い歴史が感じられる場所です。
浅井長政公銅像。名鉄間内駅東口にあります。銅像を見かけると何故ここに浅井長政公の銅像が?ネットで検索すると、なるほど!大きな銅像です。なかなかの見ごたえがある銅像かと思います。名鉄間内駅は西口にロータリーがありますが車で訪れる場合は停める場所がないので名鉄を利用するのがいいかと。
名鉄小牧線間内駅の東側に浅井長政の銅像がひっそりと建っている。浅井長政の子孫がこの地に移り住み、この像を建立したものである。浅井長政は1545年(天文14年)生まれで近江小谷城主である。六角氏を破り近江の大半を領した。織田信長の妹お市の方を妻とし信長と結んだが、のち長年同盟関係にあった朝倉義景を支援し、1570年(元亀元年)織田・徳川軍と姉川で戦って敗れた。1573年(天正元年)信長に小谷城を攻められ、8月28日29歳で自害した。
電車から見えます ^_^
浅井家の子孫がこちらに住んでたのですね...長政公は特に関係ないような...😅子孫というのはわかるけど...ここに銅像を建てるのは、なんか違う気もするけどなぁ😓
小谷城主、浅井長政は織田信長との戦で敗れ自害しましたが、その側室である八重の方が七郎君を連れて美濃へ逃れました。その後、七郎君が二十歳の時この地へ移り、1650年に死去。
名前 |
浅井長政公像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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浅井長政公の側室の子が生き延びて、末裔が建之したもの。